1980年代とはどのような時代だったのか。ライターの速水健朗さんは「1985年の4年制大学進学率は26.5%で、社会の多数派は高卒だった。だが、この頃から4大卒が当たり前という『学歴至上主義』の風潮が生まれ始めた」という――。

※本稿は、速水健朗『1973年に生まれて 団塊ジュニア世代の半世紀』(東京書籍)の一部を改稿・再編集したものです。

とんねるず・石橋貴明 - 2021年5月16日、ZOZOマリンスタジアムでの始球式で(写真=YouTube: 【帝京魂】とんねるず・石橋貴明始球式/CC-BY-3.0/Wikimedia Commons)
とんねるず・石橋貴明2021年5月16日、ZOZOマリンスタジアムでの始球式で(写真=YouTube: 【帝京魂】とんねるず・石橋貴明始球式/CC-BY-3.0/Wikimedia Commons

会社や大学まで「ブランド化」される時代

1985年はとんねるずのブレイクの年。まだ若手にもかかわらず、大物芸能人にものおじしないのが彼らの売りだった。当時のとんねるずが売りにしていたのは、高卒という最終学歴である。

 
  俺達ゃ帝京だ
  言いたかねえけど(自慢じゃねえけど)
  卒業生
  俺達ゃ高卒だ
  自慢じゃねえけど
  字を知らねぇ
 

(『とんねるずのテーマ』作詞:秋元康、作曲:見岳章)
 

1985年の4年制大学進学率は男子38.6パーセント、女子では13.7パーセント。女子が低いのは、短大進学者が多かったから。当時の、男女合計の4大進学率は26.5パーセントである。

まだ社会の多数派は高卒である。だが、この頃から4大卒が当たり前という学歴至上主義の風潮が生まれていたのだろう。

では、なぜとんねるずはデビュー当時、高卒であることを強調したのか。思い当たるのは、大学のブランド化時代である。1984年刊行の『金魂巻』は、○金、○ビで世の中を二分した職業図鑑だった。もちろん、その状況をパロディにしている。着る服や持ち物だけでなく、会社や大学まであらゆることが“ブランド化”される時代への皮肉。

とんねるずも、似たようなところがある権威の対象をパロディにする。『とんねるずのテーマ』が入っているアルバム『成増』は、小学生の当時、僕がもっとも頻繁に聴いていた音楽だが、ここでパロディにされている対象が、矢沢永吉、松山千春、プリンスだということを知るのはのちの話。

団塊ジュニア世代の大学進学率は、とんねるずの世代よりもやや下がる

4大への進学率が伸びていたのは、70年代のこと。80年代は全般としてやや下がっていた時期。とくに団塊ジュニア世代が受験年齢に差し掛かる80年代後半に4大進学率が下がっている。つまり、団塊ジュニア世代の大学進学率は、とんねるずの世代よりも実はやや下がる。当時の小中高生は、とんねるずが大学に行っていないのであれば、自分も無理に行くことはないな、と思ったはずである。

73年生まれが18歳になる91年の男女合計の4大進学率は、25.5パーセントである。男子34.5パーセント、女子16.1パーセント(女子の短大は23.1)。この世代の人口増加に、大学の枠の増設が間に合っていなかった。もしくはその後に訪れる人口減を見据えたところもあるだろう。枠を増やしたところで、その波を越えれば、今度は減少の波が始まる。実際に団塊ジュニア世代が受験期を通過したあとに4大進学率の上昇が見られる。