「努力は報われない」という潜在意識

しかし、今のZ世代は、もはや『キャンディ・キャンディ』や『おしん』に共感することはできません。1990年代後半から2010年頃に生まれたZ世代が生きてきたのは、給料が上がらず、格差も固定化された日本社会でした。サクセスストーリーを見せられても、「でも本当はそんなに頑張っても上手くいかないじゃん」と若者が思うのも仕方ありません。

もちろん昔も全員が成功できたわけではないですが、少なくとも「頑張れば上手くいく」という夢を見ることはできました。しかし今の若者は、もはやその夢すらも見られなくなっています。彼らにとっては、「努力は報われない」という意識がどこかにあるのかもしれません。

だからこそ若者たちは、おぱんちゅうさぎのような、何をしても報われない「不憫かわいい」コンテンツに共感するのだと思います。自分の姿を無意識に重ね合わせているのかもしれません。

Z世代の閉塞感は、日本だけの問題ではない

こうした傾向は日本の若者にとどまりません。

僕は先日アメリカで、Z世代を対象とした大規模なインタビュー調査を行いました。西海岸はロサンゼルス、南部はテキサス州ヒューストン、東海岸はニューヨークの若者たちに話を聞いてまわりました。その際、皆が口を揃えて「自分たちの世代をよく表している」と答えたドラマがありました。『ユーフォリア』です。

これは、ドラッグ中毒で入退院を繰り返す主人公をはじめとして、もがき苦しむ高校生たちの姿を淡々と描く2019年放送開始のドラマです。

アメリカドラマのヒット作と言えば、裕福で自立した女性たちのニューヨーク生活を描いた『セックス・アンド・ザ・シティ』(1998年放送開始)や、超セレブなティーンの日常を描く『ゴシップガール』(2007年放送開始)でしょう。どちらもゴージャスでファッショナブルな物語でした。

ところが、大学を卒業したばかりの20代女性たちを描いた『ガールズ』(2012年)からは華やかさが消え、ついに『ユーフォリア』では、わずかな希望すらも消滅しました。

上昇思考を持てない若者が、自分たちの報われない姿をエンターテインメントのコンテンツに投影せざるを得なくなっているのは、日本のみならず、アメリカ、そして世界中に共通して見られる現象かもしれません。

「ぶりっ子」や「あざとい」が死語になった理由

日本では少し前まで、「あざとい」「あざとかわいい」という言葉が注目されていました。

あからさまに自分をかわいらしく見せようとしている人を指す言葉で、単なる「ぶりっ子」とは異なり、その正直さや努力が評価される意味で使われてきました。

「あざとい」「あざとかわいい」という言葉はアナウンサーの田中みな実氏が火付け役となり、一大トレンドになりました。

ところが、ここ1~2年で、僕の学生たちは「あざとかわいい」というワードを全く口にしなくなりました。田中アナをはじめとする多くのタレントが「あざとかわいい」を武器に芸能界で成功するのを目の当たりにして、結局「あざとかわいい」は強者による社会的地位を上げるためのツールであると認識し、共感できなくなっているのでしょう。