欧米で破壊されたオービスや自販機をよく目にする理由

日本人は自分のバイクやクルマに名前を付け、語りかけながら洗車し、かわいがることが珍しくない。機械に対しても愛着を抱き、壊れたら単純に「モノが壊れた」と思う以上に悲しむ感性がある。機械を意図的に破壊することにも、生きものを殺すのに近い抵抗を覚える人が多いように思う。

ところがそうではない文化圏も存在する。たとえば僕はアメリカでオービス(速度違反自動取締装置)が銃で撃たれて壊されているのを何度も見た。また、30年ほど前には、フランス・リヨンの空港で自動販売機が何十台も並んでいたのに、稼働しているのが1台だけだったのを見たこともある。

写真=iStock.com/Cerise HUA
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これらは「機械を(生き物のように)大事にしよう」という意識がないがゆえではないか。人間と人間以外のあいだに上下関係を規定する文化圏では、生身のリアルな人間ベースのアバターを用い、音声も極力リアルな人間に近づけたほうが、破壊や暴言からアバターとその操作者を守ることができるかもしれない。

もちろん、映画『ブレードランナー』を見てもわかるように、人間とレプリカント(機械人間)が見かけ上は差がないにもかかわらず、社会的な扱いでは明確な差を設け、後者をただの道具として扱うことは、それでも起きうるだろう。

欧米は口元で、日本は目元でコミュニケーションを取る

これは差別とは関係ない話だが、日本と欧米では、アバターの顔の作り方、見せ方も違ってくる。欧米はシンボル伝達的な自己主張が多く、口元を使った表現が多い。本当に楽しくなくても声をあげて笑うことが社交の上で重要だ。

石黒浩『アバターと共生する未来社会』(集英社)

一方で日本のコミュニケーションでは、目が重要視される。口を隠していても目が出ていればよいとも言われる。欧米ではサングラスは当たり前に着けるが、マスクは嫌がられることが多い。一方で、日本ではサングラスをしていると「目元の表情が見えないと、本当は何を考えているのかわからない」と警戒されることもあるが、マスクを着けることには抵抗感がない。

このように文化圏によって望ましい表情、顔の見せ方は異なる。国をまたいでアバター同士でコミュニケーションする際には、こうした齟齬が生まれうることをあらかじめ教育・アナウンスし、いらぬ衝突が生まれないようにする必要もあるだろう。

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