洋食から和食に変化したワケ

ところで皆さん、とんかつが洋食だと言われると違和感はありませんか? 現在、とんかつ店はのれんがかけられ、カウンター席などもある和風のしつらえが目立ちます。注文すると、ご飯を茶碗に入れ、味噌汁と漬けものがついた定食形式で出され、日本茶まで出てきます。でも、とんかつは洋食だったのです。

いつ頃和食のイメージになったのかと思って、調べてみました。池波正太郎は『むかしの味』(新潮文庫、1988年)で、とんかつが流行したのは関東大震災以後と書いています。専門店が出てきたのは、昭和初期頃。このあたりからどうも和食化が始まっています。とんかつ好きの小津安二郎の映画を見ると、1952(昭和27)年に撮られた『お茶漬の味』では、「カロリー軒」という名前の店に入っていくので、どうも洋食っぽい。昔は○○軒という名前の洋食屋がたくさんありました。

でも、遺作となった1962年公開の『秋刀魚の味』では、とんかつ屋の店内のシーンがあり、畳敷きの部屋で食べているので、和食化しています。ですので、高度経済成長期頃には、すっかり和食になっていたのではないかと思います。

明治のレシピ本に書かれていた意外なカレーの具材

三大洋食の中で、比較的早く定着したと思われるのが、カレーです。

カレーライスは、1872(明治5)年に刊行された『西洋料理通』(仮名垣魯文、万笈閣)と『西洋料理指南』(敬学堂主人、雁金書屋)という日本で最初に西洋料理を紹介した2冊のレシピ本に載っていたことが知られています。

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『西洋料理指南』では、ネギとニンニク、ショウガをバターで炒めてから、鶏、エビ、タイ、牡蠣、赤ガエル、カレー粉を入れて、煮込みます。今とは全然違いますよね。

市販のルウがない時代ですので、小麦粉とカレー粉でとろみをつけます。ルウが売られ始めるのは戦後です。カレー粉も、1905年に大阪の大和屋(現在のハチ食品)が考案するまでは、イギリスのC&B社のものしかありませんでした。

大和屋はもともと薬種問屋です。カレー粉の原料である、ターメリック、日本名はウコンなどのスパイスは、漢方の薬でもありました。ですから、材料を手に入れやすい薬種問屋がまず、国産のカレー粉を生み出したのです。