明治末期にはカレーの基本形ができる

19世紀、鉄道敷設などの仕事でインド人移民が世界中に散らばった結果、カレーは世界中に広がりましたが、日本ではまず、イギリス経由で洋食として受け入れられたところに特徴があります。

インド人移民が本格派のカレー屋を開くのは戦後ですので、戦前のカレーは、インド人亡命家をかくまってレシピを教わった新宿中村屋以外は、西洋料理から発展した料理でした。

東京凮月堂では、1877年にフランス料理のレストラン営業を始めるのですが、最初のメニューの中にカレーを入れています。『神戸と洋食』(江弘毅、神戸新聞総合出版センター、2019年)によると、1870年創業の神戸のオリエンタルホテルでも、少なくとも1897(明治30)年には仔牛肉のカレーが名物メニューとして愛されていました。よく知られているように、軍隊などでもカレーは出されました。

カレーの定番食材が一通りそろったのは、明治末頃です。というのは、ニンジンもタマネギもジャガイモも皆「西洋野菜」として明治以降に普及した野菜だからです。赤い金時ニンジンなどの東洋系のモノは江戸時代に普及していますが、カレーで使うニンジンはオレンジの西洋ニンジンで、明治のモノは長細く香りも強かったそうです。

「ラッキョウのお化け」と呼ばれた野菜

ジャガイモは一部の地域で江戸時代に定着した在来系の小さなモノがありますが、幕末に西洋から入った品種が、本格的に栽培されるようになったのは明治半ばでした。私たちがなじんでいる男爵イモは明治末、メークインは大正時代に導入されています。

定着に時間がかかったのが、タマネギです。1871年には札幌で、少し遅れて大阪南部の泉州地域で栽培が始まっていますが、『カレーライスの誕生』(小菅桂子、講談社、2002年)によると、当初は「ラッキョウのお化け」などと呼ばれて、受け入れてもらえなかったそうです。一般家庭に広まるのは大正時代頃でした。

というわけで、カレーの形が定まったのは大正時代ということがわかります。西洋野菜は、幕末から明治にかけて、先進的な農家が採り入れていきます。北海道のように西洋人の指導のもと、新しい野菜を栽培し始める場合もあります。

農家の蟹江一太郎が、軍隊時代の仲間から「これからは西洋野菜だ」とすすめられて栽培を始めたのが、カゴメ創業のきっかけでした。1899年からトマトやキャベツ、レタス、パセリ、白菜、タマネギなどの栽培を始めますが、トマトだけは売れませんでした。

「食」を創造した男たち』(島野盛郎、ダイヤモンド社、1995年)によると、それは「酸っぱいような、甘いような、青臭い、なんとも言えない妙な味」と思われたからです。