スパイス好きな大阪人

その4年後、得意先の西洋料理店の主人から、今のトマトピューレに当たるトマトソースがよく売れると聞き、つくり始めたところよく売れ、工場を建てて本格的に製造を始めたのです。

やがてトマトケチャップのほうがアメリカではよく売れる、と知りトマトケチャップも製造し始めます。ちなみにトマトケチャップを最初に売り出したのは横浜の清水屋で、1896年から売り始めています。

貿易港と外国人居留地がある横浜は、需要が多いことから西洋野菜の栽培が幕末から始まっています。

初代の駐日イギリス公使のオールコックは、植物の愛好家でもあり、庭で野菜を栽培させていたようです。日本人では、鶴見の畑仲次郎という農家が、1863(文久3)年にキャベツの栽培を始めています。

大和屋に続いて、昭和期に家庭で常備されるようになったエスビー食品のカレー粉が誕生するのは、1923(大正12)年。カレーが家庭料理として定着し始めます。

また、1924年に東京・神田で誕生したチェーン店「須田町食堂」、現在の「聚楽」でも、1929(昭和4)年に大阪梅田駅前に誕生した阪急百貨店の食堂でも、カレーは人気メニューでした。こうして、昭和初期にはカレーがブームになるのです。ウスターソースといい、カレー粉といい、どうも大阪はスパイス好きの風土があるようです。

クリームコロッケとポテトコロッケどっちが先?

カレールウを大衆化させたのは大阪のハウス食品。最初のレトルトカレーも大阪の大塚食品。そして近年、大流行しているスパイスカレーも大阪が発祥です。

室町時代から続く薬種問屋街があったからでしょうか。あるいは商人の町として発展し、食の都でもあったことから、新しいモノ好きでおもしろがりの風土があるのかもしれません。

日本のカレーは、日本食として世界に知られるようになりました。もしかすると、ご飯にかけて食べられる丼形式の食べ方が、人気の要因なのかもしれません。

さて、コロッケです。コロッケは、ホワイトソースを使ったクリームコロッケとポテトコロッケのどちらが先に入ってきたのでしょうか。

コロッケ料理
写真=iStock.com/kazoka30
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オムライスの秘密 メロンパンの謎』(澁川祐子、新潮文庫、2017年)によると、1894(明治27)年に戸田保吉が出版した『独習西洋料理法』(バックマスターなど著)、に、クリームコロッケのレシピが紹介されています。

しかし、家庭向けレシピでは、『女鑑』1895年11月5日号にジャガイモのコロッケが紹介された後、12月5日号で「仏蘭西コロッケ」という名称で、クリームコロッケが紹介されています。

今も銀座に店を構える「資生堂パーラー」が西洋料理のレストランになったのは、1928(昭和3)年です。当初はやはりカレーの人気が高かったようです。そこへ1931年に「ミートクロケット」というメニューが加わります。『東京・銀座 私の資生堂パーラー物語』(菊川武幸、講談社、2002年)によるとそれは、のちに総料理長になる高石鍈之介が考案した料理でした。