「今日はだれが殴られる?」と姉妹が怯え続けたある家庭

父は自営業、母は専業主婦の中流家庭に育った。3歳のころから、教育熱心な母によってピアノ、バレエ、習字など隙間なく習いごとに通わされ、6歳になると、早朝に起こされて分厚いドリルを解かされた。できないと手が出た。「2人の妹たちと、今日はだれが殴られるかと毎日びくびくする」という暮らしだった。

ユリが小学3年の時、その母が病院で統合失調症と診断された。掃除や料理など、生活の基本は教えてもらえなかった。まともな食事は給食だけで、母が用意すると、何日か前に炊いたご飯と、カレーのルーを溶かさないまま水道水に浸したものだったこともあった。妹たちと近所のスーパーマーケットに出かけ、試食販売で空腹をしのいだ。

父は介入せず、家に帰らない日も少なくなかった。殴られても何も感じなくなり、しばしば記憶が飛んだ。泣くことができず、外から見れば平気でいるように見えるのがつらかった。

何年も後になってから、その時を思い出して、ようやく涙が出るようになった。心理学では、過度につらい体験に遭った時、心の防衛策として体験にまつわる感情などを無意識に意識外へと切り離すことを「乖離かいり」と呼ぶ。その「乖離」が起きていたと思う。外に出るともっと恐ろしい目に遭うのではと思うと家を出られなかった。

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どれだけ追い詰められているか児童相談所も理解せず

父が珍しく、誕生祝いのプレゼントとしてタブレット端末をくれたことがある。それを使って、中学1年のころ、インターネットを通じて異性との交際を仲介する「出会い系サイト」にアクセスしてみた。知らない男性から連絡が来た。何をするのかもわからないまま駅で待ち合わせ、公衆トイレの中で男性が求める通りのことをすると、5000円渡された。それで菓子やパンを買い、帰宅して妹にも渡すと、妹たちは、喜んだ。

中学3年の時、学校の配布物の中に、子どもの悩み事の相談先として児童相談所のカードが入っているのを見つけた。助かるかもしれないと、ネットで場所を調べ、放課後、出向いた。だが職員は、現状をいろいろ聞いた後、「でも君はここに1人で来られているからね」と言った。どれだけ追い詰められているのかわかってくれていないと、落胆した。

高校卒業後、県外の大学に入学したのは、家を出られると思ったからだ。朝食と夕食付きで月6万8000円の大学の女子寮に入った。寮生活で初めて友だちができ、やっと望んでいた「普通の生活」をつかめた。父は、入学金と授業料は出してくれたが、やがてそれも途絶え、奨学金とアルバイトで生活を立てた。