90年代にかけて「行った」「来た」が増殖した

であるなら――というわけで、昔の実況をYouTubeで聴いてみた。夏の甲子園。

1980年、愛甲猛の横浜と荒木大輔の早実の決勝戦では、先述した「一二塁間を抜いていきました」と一度言ったのが確認できたくらいで、まず「行った」「来た」は言っていない。81年の金村義明の報徳と荒木の早実の3回戦では、まったく確認できなかった。

が、98年の松坂大輔の横浜とPLとの準々決勝になると……「直球を狙っていきました」「積極的に打っていきました」など相当、かなり、しばしば、頻繁に言っている。

80年代から90年代にかけて、「行った」「来た」が増殖したと考えられる。

その道40年、ベテランアナウンサーの証言

スポーツ実況の舞台裏』(彩流社 2016年)という著書に、柔道の実況に関して、技を〈かけに「いきました」もあまり意味がないです。「かけます」あるいは「かけました」で十分〉と書いているのをたよりに、四家秀治というアナウンサーに話を聞いた。

写真提供=四家秀治さん
スポーツアナウンサーの四家秀治さん。2016年、横浜スタジアムの実況席で。

RKB毎日放送やテレビ東京を経て、2011年からフリー。以来スポーツ実況専門で飯を食い続けている人だ。あらゆるスポーツシーンを舌に乗せ、スポーツの魅力を伝えている。2000年のシドニーオリンピックではボクシングとソフトボールを、2003年のラグビーのワールドカップ(オーストラリア大会)を実況した、その道40年、65歳のベテラン。

「ここ20年ほど、民放労連(日本民間放送労働組合連合会)が全国の放送局のアナウンサーを集めて行っている新人研修会で、私はスポーツ実況の講師をやっています。新人アナウンサーの皆が皆、揃って『三遊間を抜けていきました』『右中間、破っていきます』とやります。進行形で臨場感を出したいのでしょうが、『それ、抜けました、だよね』と何度注意しても、『抜けていきました』としか言えなくなっている。無意識でもつい進行形が出て、『抜けました』と普通に言い切れないのです。講師として私が言うのは――下世話な表現ですが若い彼らには響くので――『早漏実況はやめよ』と。そんなにしょっちゅう、すぐにイくな! と」