金融商品を買うときも、同じです。本来は、応援したい企業にバトンを渡すべくおカネを出すことに、投資の醍醐味があるのです。
同じぐらい儲かりそうな株であれば(そんなことがわかれば、ですが)、たとえば「自分は自動車が好きだから、自動車会社の株にしよう」とか、「この企業は環境保護に熱心だから、ここの株を買おう」などというように、自分が応援したい企業の株を選ぶ。そういうおカネの使い方をしていけば、本来の意味の社会的な投資になります。
銀行に預けたおカネも社会を変える力になる
銀行におカネを預けるときでも、その銀行がどんな活動をしているか、人道上よろしくない活動に融資していないか、まずは確認しておきたいものです。たとえ微力であっても、単に儲けを求めるのではなく、みずからが一員である社会の一角を変えていくことが、積もり積もれば大きな何かを変えていくのです。
ただしそのためには、信頼できる情報を得られる情報源を、しっかり持っておくことが同じぐらい重要です。企業でも銀行でも、ネットなどで簡単に手に入る情報には、よいことだけが書いてある可能性があります。
自分の大切なおカネを、どこに「投じる」のかを考える。そのために必要なことがらを、日々の暮らしの中でつかみ、押さえておく。こうした目配りは、一朝一夕にできるわけではありません。確かな情報収集の努力(ここにおカネをかけることも含めて)、それを地道に持続できる力、それによって培われていく眼力が試されますね。
「給料の高さ」で就職先を選ぶ危うさ
ところで、大学の授業で聞いてみると、かつての学生は、希望する就職先として「給料がいい」ことをわりと第一にあげていましたが、今の学生にはそうでない人が増えているようです。給料はともかく、労働条件が重要です。
ブラック企業に就職して、自分の時間や労力を犠牲にするくらいなら、そんなに高賃金でなくてもいい。このように考える人が多くなっているようです。NPOや小さな集団で、もっと柔軟に働くことを選ぶ人もいます。
ただし、あまりにも世の中の動きに関心がないのも危ないと思われます。自分の所属するコミュニティの中で楽しく暮らせれば、世の中や世界の動き、政治はどうでもいいという考え方は、結果的に為政者の恣意を助長する危険があるからです。
市民が政治に参加するというと、デモや署名活動などを思い浮かべる人が多いと思いますが、よく言われるように「投票する」ことが、まずは大事な政治参加です。そして、先にも述べたとおり、おカネを使うことは「投票する」ことと同じです。
おカネを「上手に使う」方法を身につけたほうがいい
一方で、現代人はおカネを使うことを我慢しすぎる傾向があるようです。
「自己責任」の圧力にがんじがらめになっているからでしょうか。欲望のままに無分別に使うのはもちろんダメですが、「おカネがもったいないから」と我慢してばかりいるのは、それこそもったいない。