本書(第4章)で、被災した気仙沼市の民宿の女将おかみさんの負い目の話をしました。そんな負い目を払拭ふっしょくする役割も、クラウドファンディングにはあります。たとえわずかでもリターンを提示して、賛同してくれた人だけが出資するシステムなので、気持ちよく助けてもらえます。

日本でクラウドファンディングが流行したのは、2011年、東日本大震災の復興支援がきっかけだったということです。それから10年以上経っても衰退していないのは、「困っている人を助けたい」「何か社会のために貢献したい」という潜在的な思いが、人間にはあるからではないでしょうか。その思いを受けとめるツールの一つが、クラウドファンディングであると思います。

おカネがつくり出す「支払い共同体」

どんな種類の「おカネ」であれ、支払い手段があるところには、必ずその支払い手段を共有する共同体があります。いわば「支払い共同体」です。それは、とても小さな集団かもしれないし、大きな集団かもしれません。

いずれにせよ、クラウドファンディングでも、地域通貨でも、もっと小さな商店街のクーポンでも、そこに支払い手段があれば、支払い共同体があります。逆に言えば、おカネの使い方一つで、地縁も血縁もないところにも共同体をつくることができるのです。

おカネを払うときは、向こう側に必ず人がいて、共同体がある。共同体、つまり人びとが集まれば、一人ではできないことを成し遂げたり、単純な足し算以上の力を発揮したりすることもできるでしょう。だからこそ、おカネの使い道を決めることは、社会の一画をつくっていくことそのものであるとも言えるのです。

スクランブル交差点を行き交う人々
写真=iStock.com/JohnnyGreig
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借金は「将来の先取り」である

最後にもう一言、付け加えさせてください。どうも日本人は借金に対して負のイメージを強く持っていて、「人でなしがすることだ」と思っている人が多いようです。

みなさんも、「借金なんて、とんでもない!」と思うでしょうか。でも、こうして見てくると、おカネを借りるのは「将来の先取り」であり、決して悪いことではないとわかったのではないでしょうか。

本書(第1章)で述べたように、事業を興す人は必ずと言っていいほどおカネを借ります。借金をすることで、おカネを元手におカネを稼げるのです。そして、そもそもおカネは「貸し借り」から始まっているのです。重要なことなので繰り返しますが、貸し借りは、すなわち人間関係です。

「借金」というと「早く返さなくちゃ」と焦るかもしれませんが、それがある限り相手とつながっているという、関係性の持続の手がかりでもあります。ずいぶん借り手寄りの自分勝手な解釈だと思われるでしょうか。しかし歴史学や人類学の素養を身につければ、古今東西、現代に至るまで、あえて借りを返さずにおこうとするケースも、さまざまにあることがわかります。おカネとは、儲けを出したり得たりするだけのものではないのです。