長谷川は経理、それ以外の総務を内田が担当
こうして彼女たちは昭和24年(1949)11月1日付で入社することとなった。先述したように和江商事が株式会社化された日、つまり創立記念日であった。
そろばんのできる長谷川は経理に配属され、経理以外の総務を内田が担当することとなった。内田の主な仕事は接客と電話番、そして便所掃除だ。
接客などしたことのなかった内田は、
「毎度ありがとうございます」
という言葉がなかなか言えなくて苦労した。
当時の社員は幸一の八幡商業時代の同級生である中村と川口のほか、幸一や内田たちも入れて全部で10人である。
入社した内田が一番がっかりしたのは、給料の遅配があったことだ。月3回に分けて10日分ずつ払われることもあった。それだけ資金繰りが大変だったのだ。
(大丈夫やろか……)
心配になったが、もうあとには引けない。懸命に仕事を覚えようと努力した。
「商品の名前と種類、教えてもらえませんか?」
と尋ねても、先輩社員はなかなか相手にしてくれない。
「そんなあわてんでも、そのうちに覚えるて」
と軽くいなされたが、それでも必死に食らいついていった。
そろばんも長谷川に負けたくないという一心で、見よう見まねで覚えてしまった。
経営の根幹とも言うべき在庫管理を任される
そうした彼女の頑張りを、社員たちとの会話を背中で聞きながらしっかり把握していたのが幸一だ。
「ちょっと内田君いいかな?」
ある日、幸一から呼ばれた内田は、経営の根幹とも言うべき在庫管理を任されることになる。
最初のうちは在庫と帳簿があわなくて大変だった。営業がろくに商品の数も数えず売りに出るからだ。
「すみません。売りに行くとき、商品の数を確認して、申告してから営業に出て下さい」
とお願いすると、
「何言うてるねん、邪魔くさい」
ですまされてしまうこともしばしばだった。十分な売上金を持って帰ってくれば文句はないだろうというのが営業の言い分だった。
だが内田は譲らない。任された仕事に対する責任感は人一倍ある。邪魔くさそうな顔を露骨にされても折れなかった。見本にする分も含め、いくら持ち出し、売上げがいくらで在庫がどれだけあるか。商売の基本を彼女が押さえていったのだ。
(さすが軍人の娘や。並の女性やない……)
言葉にはしなかったが、幸一は内心感心していた。