上京に内田を同行させた幸一の狙い
そのうち幸一は“東京飛脚”に内田を同行させるようになった。
男性社員はそれぞれの得意先回りで忙しい。そこで内勤の彼女に目をつけ、荷物を持たせると同時に、もう一つの目的を秘めて連れていったのである。
大型のトランク二つに商品が一杯入っている。救いは、かさばりはしたが商品自体が軽かったことだろう。
宿賃を節約するため、相変わらず日帰りである。
特急列車の「つばめ」でさえ東京まで行こうとすれば7時間半ほどかかった時代。夜行だと10時間以上かかる。今で言えばアメリカ出張くらいのイメージだった。1等や2等でなく、もちろん3等列車だったから、今の飛行機のエコノミークラスのほうがよほど快適であったろう。
夜行列車は朝6時半に東京駅に着く。半沢商店が店を開ける8時までの間を利用して、銀座にできたばかりの東京温泉で汗を流し、朝食をとってから半沢商店に乗り込んだ。
半沢商店の商品は人気があるから、仕入れ量を確保するのが大変だ。ここで内田の出番である。男だけなら向こうも関心を持たないが、わざわざ女性が長い時間かけて上京してきたとわかると対応が違う。
約3カ月で和江商事の収支は黒字に転換
2人並んで頭を下げ下げしながら、できるだけ多く仕入れさせてもらえるよう頑張った。当時のコルセットは人気商品だ。他社もみな欲しがっている。2人はずっと職人の横にはりついて、他の店に持っていかれないよう見張っていた。
そしてもう帰らねばならないリミットである夕方6時頃、完成された商品がたまったところで最後にもう一度頭を下げ、帰途についた。ブラパットと違いコルセットはかさばるので、持参したトランクだけでは間に合わない。一反風呂敷と呼ばれる大判の風呂敷に包んで逃げるように店を出て、再び夜行列車に飛び乗るのだ。
列車に乗った頃には、くたくたになっている。
「もうちょっと会社が立派になって、このへんに1泊できるとこができるとええなぁ」
熱海を通る時、幸一が独り言のように口にしたのを内田は記憶している。
その後も幸一たちは5日から1週間に1度の割合で京都と東京を往復した。すると3カ月ほどしたところで、和江商事の収支はついに黒字に転じたのだ。
ところが好事魔多しという。
突然半沢商店から、ブラパットの取引中止が告げられたのだ。
(第4回に続く)