この状況で皇室入りする女性はいるのか
難しいといえば、悠仁さんの結婚相手探しはもっと難しくなるのではないだろうか。
高校2年で結婚相手探しというのは早すぎないかという声があるだろうが、成城大学教授の森暢平氏が連載している「社会学的皇室ウォッチング!」(サンデー毎日2022年7月17日・24日号)によると、前例があるという。
昭和20年代に宮内庁長官だった田島道治が残した『田島道治日記』には、明仁皇太子(現在の上皇)が高校2年生だった1951年2月19日に「皇太子妃候補名簿ノ件」という記述があり、もう一つの『拝謁記』には、学習院名簿による「机上調査」が行われたことが記されているという。
森氏は、「『悠仁さまの恋愛』は眞子さんのときと同様に、メディアによる隠し撮りやバッシングに晒されなければならないのだろうか」と危惧し、「また、天皇家をめぐるいまの状況のなか、わざわざ皇室入りする女性が本当に存在するのだろうか。そのことを想像してみるとき、あまり明るい未来は描けない」という。
さらに、こう断じる。
「宮内庁も、私たちも、未来の悠仁さま妃について希望を持って語ることさえできないのである。それによって、皇室がいずれ存続の危機を招来することは容易に想像できる。私たちは、その危機の予感に、ただ目を背けている。これが皇室と社会をめぐる現実である」
秋篠宮家存亡の危機につながりかねない
秋篠宮はそのことに気づいたのではないだろうか。目先の進学問題も大事だが、お妃選びはさらに難しい。今から考えておかなければいけない。
その際、100年以上の歴史をもつ学習院女子中等科・高等科の同窓会である「常磐会」(会員1万人以上)や、オール学習院の同窓会である「桜友会」の力を頼むことになるのかもしれない。秋篠宮は学習院とのつながりを復活させるのではないか。
もし、妻の紀子さんの希望通り東大に入学させることができても、長女・眞子さんのように「自由恋愛」で相手を見つけるようなことは、悠仁さんには許されまい。
次女・佳子さんの結婚はどうするのか。長男・悠仁さんの大学進学とお妃選びも一つ間違えば、国民からの批判が巻き起こり、メディアの餌食になることは間違いない。
眞子さんとの仲も修復できていないのに、秋篠宮家には次々に難題が襲いかかってくる。
選択を間違えると秋篠宮家存亡の危機というと大げさだが、国民からの批判の声はさらに大きくなるかもしれない。