ユーゴ内戦では虐殺や性的暴行が頻発した
そして第4のモデルが、内戦である。これは冷戦後でも、ユーゴスラビア内戦であるとか、南スーダンなどで発生しているもので、国内の軍閥同士の戦いであったり、あるいは分離独立を求める勢力の中央政府に対する武力抗争という形を取ることがある。
このタイプの戦争においては、クラウゼヴィッツ的な「三位一体戦争観」が成立しないことが多い。そもそも内戦を戦うような国内の武装組織は、正規軍対非正規軍のモデルにおける非正規軍のように、社会から機能的に分化された軍事力ではないことが多いからである。そうなると、ステートクラフトの1つの「道具」として軍事力が行使されるという前提そのものが成立しなくなる。
例えば、ユーゴスラビアという国家が分裂していくプロセスで、セルビア人勢力、クロアチア人勢力、ムスリム勢力が戦ったユーゴスラビア内戦においては、「民族浄化」と呼ばれる虐殺や性的暴行が頻発した。このように、民族的憎悪が戦いのベースとなってしまうと、政策の道具として軍事力を使うのではなく、破壊そのものが目的となってしまう。人種差別的な意識が影響した場合も同じようなことが起こるだろう。
軍事力が政治の「道具」でなくなると…
アフリカにおける内戦を研究したバーダルとマローンは、アフリカにおいては「政治の延長」としての戦争ではなく、「経済の延長」としての戦争が存在していることを指摘した(※2)。
彼らが明らかにしたのは、戦争の継続によって可能となる経済活動(援助のピンハネや略奪など)を目的として戦争状態を継続する武装勢力が広く存在していることであった。政治の「道具」としての軍事力ではなくなってしまっているのである。
(※2)Mats Berdal and David M. Malone, Greed and Grievance: Economic Agendas in Civil Wars (Lynne Rienner Publishers, 2000).