より高度なプレーを求めるならば部活動がある
それでは物足りない、もっと高度なプレーがしたい、さらなる競技力の向上を目指したい――。そう望むのであれば部活動に入ればいい。経験者が幅を利かす空気を緩め、たとえ初心者であっても受け入れられる余裕を部活動につくる。勝利至上主義へと陥りやすい全国大会への過熱を抑え、指導者が初心者指導を身に付ければいい。
懸念される成績評価については、絶対評価を導入する。他者ではなく過去の自分と比較して、どれだけ変化したのかを評価すればいい。その際に用いるのが、数値化できない能力を意味する身体知という概念だ。
技能を身に付けようとするプロセスにおいて、動き方がどのように変化し、どの身体知が充実したのかを専門家の立場から判断すればいい。ただこれには時間がかかる。数値化できない感覚的な能力を見抜くには、高い専門性を身に付けるとともに、授業以外に子供と接する時間を増やさなければならない。子供一人ひとりに目を向け、身体知をじっくり観察するための時間をつくる。それには、教員にのしかかる授業以外の仕事量をできるだけ減らさなければならない。
体育の目的はあくまで健やかなからだを育てること
あくまでも健やかなからだを育てるのが体育である。スポーツはその手段に過ぎない。跳び箱やマット運動、ソフトボールやバレーボール、バスケットボールができなくても、卒業後の人生になんら支障はない。支障が生じるとすれば、それは経験則がもたらす「運動は嫌いだ」という感情の方である。できる限りこれを醸成しないような学校体育のあり方を模索しなければならないと、私は思う。