なぜ「体育の授業で運動が嫌いになった」という人がいるのか。神戸親和大学教授の平尾剛さんは「学習指導要領は『生涯にわたって運動に親しむ資質』を育てようとしているが、学校体育はそうなっていない。スキル習得を目指す指導では、『できなさ』が強調され、むしろ運動嫌いを増やしてしまう」という――。
中学校のグラウンド
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「休め!」の号令は今の時代に必要なのか

「腰を下ろして休め〜!」と、体育委員が声をかける。それに続いて全員が復唱したあと、「1、2、3!」と言いながらからだを折りたたんで三角座りをする。座り終えたタイミングを見計らって、教育実習生は話し始めた。

とある中学校での体育の授業風景である。

毎年この時期になると、教育実習中の学生を訪ねて中学や高校を訪問する。校長や教頭、指導担当教員にあいさつをするのが主たる目的なのだが、タイミングが合えば学生が行う実習を見学する。そのとき目にしたのが、この光景だった。

この学校では体育委員の号令に応じて整列する風習が続いているという。「回れ右」や「右向け、右」などに従って動く集団訓練は徐々に姿を消しつつある。そう伝え聞いて安心していた矢先、軍国主義を彷彿とさせる様をいざ目の当たりにして胸中は複雑になった。

学校体育の目標は、「心と体を一体としてとらえ、適切な運動の経験と健康・安全についての理解を通して、生涯にわたって運動に親しむ資質や能力の基礎を育てるとともに健康の保持増進と体力の向上を図り、楽しく明るい生活を営む態度を育てる」ことにある(学習指導要領「生きる力」第2章)。

指示待ち人間を生むだけではないのか

号令の下に全員が一様に動かなければならない集団訓練が、「生涯にわたって運動に親しむ資質」や「楽しく明るい生活を営む態度」を育てると考えられない。親しさや楽しさや明るさは、心身がリラックスできる情況でこそ感じられるもので、決められた動きが強いられる窮屈な雰囲気は、むしろそれらから遠ざかる。

人と人とが寄り添う社会を生きるために集団行動は必要だ。しかしそれは、軍隊のように一糸乱れぬ動きではなく、他者を思いやりつつ自らの行動を決められればそれでいい。置かれた情況を把握し、どのように動けばよいかを自らの意思で決める態度を養成するにはむしろ、「号令に従う」という姿勢は逆効果だ。誰かの指示を待ってしか動けなくなるからである。