カントが説いた「自律」の本当の意味

このような状態、つまり、他律の反対概念として、カントは「自律」という概念を立てます。自分で自分を律することができる態度のことです。ただ、自分で立てたルールに従うことが直ちに自律というわけではありません。

秋元康隆『人間関係の悩みがなくなる カントのヒント』(ワニブックスPLUS新書)

カントが動機の質を問う論者であることについては本書で何度も繰り返し論じています。この自律についても同じです。単に利己的な理由で動いているのであれば、それは自律とは言えないのです。

カントは「人間」の同義語として、しばしば「理性的存在」(ein vernünftiges Wesen)という表現を用います。彼が「自律」という場合の「自」というのは、己の肉体のことを指しているのではなく、感情のことでもなく、理性のことを指しているのです。

理性的な存在者であるところの私が感情を超克して理性的な根拠によって、つまるところ、自律的に振舞うことができて、はじめて道徳的善が可能になるのです。

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