嫌悪の感情が競争相手に向かっていく危険性
A君は他律状態であったものの、心のやさしい奴であったために、マイナスの感情が外に向かうようなことはありませんでした。しかし、前ページの引用文にあるように、競争のなかで嫌悪の感情が芽生え、それが相手に向かっていた危険性もあったのです。
このことは、「人間性の素質」に関わってきます。人間というのは他人と比較されると、その比較対象に対して容易に嫉妬、忘恩、他人の不幸を喜ぶ気持ちを抱いてしまうものなのです。
私自身、長い間大学にいて、基礎学力は高いであろう、いわゆる研究者と言われるような人たちと接してきました。自分が研究者になれたのだから、親には感謝しても良さそうなものですが、自分の親のことを悪く言う人が多いことに驚かされるのです。
大人になってもマイナスの感情に苦しめられる
いや、自分の親の異常性に気づく判断力があれば、まだマトモなのかもしれません。なかには明らかに度を越した価値観の押しつけ、学歴偏重主義的な扱いを経験している話をしながら、話している本人はそれにどっぷり浸かってしまって、何らの違和感も抱いていないという事態に出くわすことがあるのです。
そして、そういう人に限って、まさにカントの挙げる、嫉妬、忘恩、他人の不幸を喜ぶ気持ちといったマイナスの感情を無意識のうちに抱えてしまっている、そして、それが原因で苦しんでいるように見えるのです。
親が子供を自らの価値観や希望を満たしてくれる手段としてのみ見なすようなことは、「目的の定式」に反しており、道徳的に許容できることではありません。そして、まさにカントの言うとおり、「この誤謬は、後に子供の心に深く根を張る」(メンツァー〈1968年〉、278頁)のです。その頸木から一生逃れられないということにもなりかねないのです。