皇太子一家と秋篠宮家の間に亀裂が入った出来事
ご成婚から8年後、2001年12月に愛子さんが誕生する。翌年4月、皇太子と揃って会見した雅子さんは、「生まれてきてありがとう」と声を詰まらせた。
だが、宮内庁を含めた周囲は「男の子でなくては」と雅子さんを追い詰める。さまざまなストレスが重なり2003年に帯状疱疹を発症し、長期の静養が発表される。
ここでも、雅子さんの苦境を憂い、宮内庁のやり方に異を唱えたのは夫の皇太子であった。
「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあった」
これに対して、弟の秋篠宮は、発言する前に「天皇と相談すべきだった」と苦言を呈した。
このあたりから、兄と弟の間には深い亀裂が入ったのではないかと、私は思っている。
秋篠宮と紀子さんの結婚は兄より早かったが、婚約が発表されると紀子さんブームが巻き起こった。愛らしくてかわいらしい紀子さんは、まるでアイドルのようだった。
秋篠宮も「あの時、(紀子さんと=筆者注)出会わなければ、私は現在でも独身だった可能性があります」(江森敬冶『秋篠宮』、小学館)と語っている。
秋篠宮は出会ってすぐに両親である天皇皇后に紀子さんを紹介し、天皇皇后は「キコちゃん」と呼んでいたと、江森氏が文藝春秋(7月号)で書いている。
祝福ムードの秋篠宮家の裏で適応障害に
プロポーズは学習院大学近くの交差点だった。だが、昭和天皇が亡くなり喪中の間に結婚を決めたことや、兄の皇太子より先に結婚することなどで、宮内庁の一部や国民の間から異論が出た。
一時は、秋篠宮が「皇籍を離脱してでも結婚する」と口にして騒ぎになったが、天皇皇后の後押しもあって、喪の明けた1990年6月29日に結婚する。秋篠宮24歳、紀子さんは23歳だった。
一方の雅子さんのほうは結婚して以降、日に日に体調が悪くなっていき、メディアから公務ができないのに、私的な外出は頻繁にしているではないかなどというバッシング報道がなされた。宮内庁からのプレッシャーもあり、ついには適応障害を発症してしまうのである。
2010年には愛子さんの学習院初等科への不登校が報じられた。原因はいじめによるものといわれたが、それから2年余り、雅子さんが愛子さんの登下校に付き添ったことが批判の対象にもなった。
何をやっても批判されてしまう。そう雅子さんは思っていたに違いない。
週刊文春(2016年1月21日号)には、「美智子さまが雅子さまを叱った!」という記事が出た。そこには、2人しか知りえないやりとりが、語尾に至るまで正確に記されていたのである。