「人々の前に姿を見せるということが最善の道」

その前年12月23日の天皇誕生日の夜、82歳を迎えた天皇(当時)は皇太子夫妻や秋篠宮夫妻に囲まれて団欒を過ごしたという。

食事が終わった後、美智子さんが雅子さんと連れ立つように庭に出た。そこで美智子さんは雅子さんに色々話したというのである。例えば、

「(雅子妃は)東宮と共に人々の前に姿を見せるということが最善の道だと思っています。それが公にされている『適応障害』という病気にもとても良い効果をもたらすのではないかと思うのよ」

1981年当時皇太子だった天皇(現上皇)は、「日本ではどうしても記憶しておかなければならないことが4つある」として、広島、長崎、沖縄、終戦の日を挙げ、その日には天皇皇后は必ず黙祷を捧げることに触れ、

「そういうものは、陛下が築き上げてこられたものだし、やはり陛下が広島原爆の日、長崎原爆の日、終戦記念日、沖縄慰霊の日を、どれほどか、大切に思われ、どこにおられても大切に黙祷されているという意義を、やはり深く考え理解していってほしい」

二重橋
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美智子皇后の何らかの「意図」があったのだろうか

これは、2005年の8月6日の原爆の日に、雅子さんが聖路加病院の夏祭りに参加し、終戦記念日には静養先の那須でテニスや花火を楽しんでいたことを知り、美智子さんが気にしていたから出た言葉だと、千代田関係者が解説しているが、そんな古いことを持ち出されてもなあと、私は思ってしまうのだが。

また、雅子さんがよく実家の小和田家と連絡を取り合っていることを取りあげ、こういったというのである。

「ご家族という意味では、(連絡を取るのは)良いことではあるけれど、皇室という中で小和田家は特別な存在ではありません。小和田家と、浩宮が育ってきた皇室というのは、文化が違うのですから。皇族の文化の中にある雅子が小和田家と触れ合いを持つという、そういう心構えでなければならないのよ」

かなり厳しいいい方である。もちろん2人だけの会話で終われば雅子さんも、それほど心を痛めることはなかっただろうが、これが語尾も含めて文春に出てしまうというのでは、いじめととらえても致し方ないかもしれない。

この会話は、美智子皇后が了承しなければ出せるはずのないものだから、何らかの美智子さんの「意図」があったと考えてもおかしくはない。

信頼している美智子さんまで……と雅子さんは落ち込んだのではないだろうか。