母親の責任が重くなるほど、父親は子供から切り離される

――社会から期待されている家庭像や母親像は、いまだに強い印象があります。そのことについて、どうお考えでしょうか。

撮影=市来朋久
「理想の母親像」が母親に与える影響について語る河合さん

現状では母親に重い責任が課せられていて、だからこそ期待も大きくなってしまうのではないかと思います。たとえば、出産前の子どもに障害がないか調べる出生前診断をして、子どもに障害があることがわかったとします。そのときに産むのかどうかの選択の重圧は、母親にかかってくる場合は少なくありません。

その状態で母親に対して「あなたの自由にしていいよ」と言うのは、やさしさからの言葉であっても、重圧につながってくることもある。一緒に納得するまで話し合い、責任をわけあうことができれば息がしやすくなるのではないでしょうか。

――そうした現状を象徴する言葉が「母は死ねない」ですよね。一方で、「父は死ねない」という言葉について、なにかお感じになることはありますか。

父にも重責があり、家族を支えなければなどプレッシャーはあるかもしれませんが、そこまで思いつめることはそれほど多くはないような気がします。それは父親が家族に無関心だというわけでは必ずしもなくて、社会が子どもについての責任の多くを母に押し付けることで、父を子どもから疎外しているとも言えると思います。

母が責任を感じて、母と子が密着すればするほど、父は母を挟んだうえでの関わりにならざるを得ない場合もあるでしょう。もしかすると、「父は死ねない」状態になるほどに、子に近づくことを望む父親もいるかもしれないですよね。

もちろん、それが良いことかどうかはわかりません。ただ、母や父だけではなく、もっと社会に開かれた子育てができるといいと思います。

「母親」という言葉が持つ意味

――本書を読み進めていくにつれて、「母親は、ひとりの女性ではなく、母親として生きなければいけないのか」という問いが大きくなっていくのを感じました。この点は意識して執筆されたのでしょうか?

そうですね。「母親」という言葉には、「個人」を指す言葉だけではなく、何かの「総体」を表す言葉になっている気がします。でも、誰しも母でありながら、ひとりの人間であるという当たり前のことに、私自身も気づかされました。