「引っ越せばいい」は正論だが…

――同じ小学校に通う親同士の友人グループにいた母親2人が相次いで自殺したという報道に触れられている章もありました。この事件をどのように受け止めましたか。

母親たちが亡くなった本当の理由や、記事の内容がすべて正しいかもわかりません。ただ、もしも、親同士の関係が心の重石になっていたのであれば、いまだに重苦しい気持ちになります。

――それほど追い詰められていたということですよね。ただ、見方によっては「死ぬくらいなら引っ越せばいいんじゃないか」という意見もあるかもしれません。このような意見に対して、河合さんはどのように答えますか。

撮影=市来朋久
書籍を手に取りながら内容について語る河合さん

それは正論かもしれません。でも、そんなに簡単には引っ越せない事情を抱えていることも少なくありません。子どもが通っている学校を変えなければいけないとか金銭的な事情もありますし、心が疲れて膠着こうちゃくしてしまっているということもあるでしょう。

私自身も「これから母親になるには、孤立していてはいけない」という考えから、“ママ友”を作らなければいけないと思った時期もありました。今考えると、“ママ友”との関係がうまくいかないからといってたいしたことじゃないとわかる。でも、当時は視野が狭くなっていて、逃げることのできる場所がないように感じていました。

渦中にいる人に「逃げればいい」といっても、なかなか難しいこともあると思います。それはその人が悪いわけではなくて、そうならざるを得ない状況になっている。そこから抜け出すためには、周りの助けが必要だと思います。

「子供のため」が呪縛になってしまうことも

――母親の視野が狭くならざるを得ない理由には、どんなことがあるのでしょうか。

“ママ友”との付き合いを「子どものため」と思っていることが理由の一つでしょう。近所付き合いもない都心のマンション暮らしだと、“ママ友”がいなければ子どもの遊び相手さえ見つけられませんから。

でも、子どもからしてみると、母親に無理させてまで遊び相手が欲しいとは思っていない可能性もありますよね。「子どものため」という言葉が、子どもにとって呪縛になることもある。なにが「子どものため」なのかについては、改めて考えたいなと私自身も思います。