安倍元首相が提起した「核共有」論

ここで想起させられるのが、安倍晋三元首相の「核共有」論だ。2022年のロシアのウクライナ侵攻から3日後、安倍氏は2月27日のフジテレビ番組で、北大西洋条約機構(NATO)の核共有を取り上げ、「世界はどのように安全が守られているか、という現実について議論をしていくことをタブー視してはならない」と主張した。

令和2年4月7日、安倍内閣総理大臣記者会見(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

ドイツやオランダは米国の核兵器を共同運用しているとして「さまざまな選択肢を視野に入れて議論すべきだ」と指摘している。一方で「被爆国として核を廃絶するという目標は掲げなければいけない」とも語っていた。核抑止と核廃絶は、政治的には必ずしも矛盾しない。

米国は、1960年代から、ドイツ(ビューヒェル)、ベルギー(クライネ・ブローゲル)、オランダ(フォルケル)、イタリア(ゲーディ、アヴィアーノ)の各国空軍基地にB61核爆弾、トルコには米空軍基地(インジルリク)にB61を計100発配備している(ストックホルム国際平和研究所)。

NATOの核共有はNPTと表裏一体

核兵器不拡散条約(NPT)は1970年に発効したが、実はこのNATOの核共有と表裏の関係にある。核共有は当時のソ連を含むワルシャワ条約機構と通常戦力での圧倒的劣勢をカバーするためだった。

ソ連軍の戦車が東西ドイツの国境を越えて侵攻した場合、NATO4カ国の各空軍のF15、F16戦闘機が各空軍基地のB61を搭載し、その前方で運用(爆撃)するもので、通常兵器の延長線だった。B61の出力は、0.3~50キロトン(広島型原爆は15キロトン)とされる。

NATOの核共有は、物理的共有というより、情報、配備、運用、作戦、意思決定の共有なのだろう。B61は米国が管理権を有し、5カ国は米国の了解なしには使用できないが、核抑止力としては相当強いと言える。

米ソの核戦力が均衡したことが契機に

当時の米国の核戦略を見る。アイゼンハワー米政権(1953~61年)は「大量報復戦略」を掲げ、米国の核兵器の一方的優位をバックに、ソ連・共産圏の優勢な陸上兵力を核兵器によって抑止しようとしていた。

続くケネディ政権(1961~63年)は「柔軟反応戦略」として、敵国の出方に応じて通常兵器と核兵器を選択的に使用する考え方を打ち出した。ソ連が1953年に水爆実験、57年に大陸間弾道ミサイル(ICBM)の実験を成功させ、米ソの核戦力が均衡したことが背景に挙げられる。

NATOはこの状況に、1955年に加盟した西ドイツのアデナウアー首相を先頭に米国に核共有を要求したのだが、米国にもドイツの核武装を抑えたいとの思惑があった。

フランスは、ドゴール大統領が1958年に政界復帰すると、核保有を宣言し、60年に核実験を成功させた。米国とは一線を画した「独自路線」を取っている。

米国はNPT体制を維持するためにも、核を持たない同盟国には核共有という形で核抑止力を提供し、今に至っている。