「金が払えなくなったら賦課式にしてしまえばいい」

使ってしまったら先行困るのではないかという声もあったけれども、そんなことは問題ではない。貨幣価値が変わるから、昔三銭で買えたものが今五十円だというのと同じようなことで早いうちに使ってしまったほうが得する。

二十年先まで大事に持っていても資産価値が下がってしまう。だからどんどん運用して活用したほうがいい。

何しろ集まる金が雪ダルマみたいにどんどん大きくなって、将来みんなに支払う時に金が払えなくなったら賦課式にしてしまえばいいのだから、それまでの間にせっせと使ってしまえ。

それで昭和十八年十一月に厚生団を作ったのです。

これはそこらにある団体と違って、デカイことをどんどんやろう。そこでまず住宅を作ろうとしたら、住宅は住宅営団が作るのだから厚生年金ではやることはできないと言われる。

写真=iStock.com/OliverChilds
金が雪ダルマみたいにどんどん大きくなる(※写真はイメージです)

年金が「腐敗の塊のような施設」に流用

では、病院を作ろうと言ったら、病院は日本医療団とかほかにやるところがあると言う。何かしようにも何もできない。だけれども、整形外科というのはないのですね。では、整形外科病院をやろうではないかということで、まず別府の亀ノ井ホテルを早速買収して、整形外科病院を作ったのです。

(出典:「第1節 労働者年金保険制度の創設と厚生年金保険への発展」23~24ページ 財団法人厚生団編集『厚生年金保険制度回顧録』昭和6年11月 社会保険法規研究会)

これが当時の年金官僚の本音であった。

その言葉のとおり、この巨額の運用資産を抱えた厚生年金制度は、戦後にグリーンピアなど腐敗の塊のような施設の建設・運営に流用され、多額の資金が天下り官僚の生活資金や癒着した事業者に対する発注費用などに消えていくことになった。