「仕事の拘束時間」が長く感じられてしまう

そうした職場や部署に入社してすぐは「なんて楽な職場なんだ! 最高!」と心躍るかもしれない。だが、よほど労働に対してのモチベーションが低い無気力な人でもないかぎり、そう感じられるのはごく最初の期間だけだ。次第に状況は変わってくる。毎日の仕事に「ぎっしりと充満した感じ」「体や頭を精いっぱい駆使した疲労感と達成感」が欠如しているせいで、とにかく「仕事場にいなければならない拘束時間」として味わう時間が体感的に長く感じられてしまい、それが苦痛で苦痛で仕方なくなってくる。

ブラック企業ほどギスギスしていないが、チャレンジングでハードな仕事が次々と押し寄せる「ゆるさ」とは縁遠いタイプの職場、いわば「熱い職場」は、たしかに体力的にしんどいこともあるし、タフな状況に追われることもある。しかしながら、ほどよい張り合いや緊張感を持って身体をどんどん動かしていると、時間が過ぎるのはあっという間だ。

自分の力量では絶対に耐えられないくらいハイレベルな熱量を持つ職場に行くのはさすがに危険ではあるものの、自分からして「ここはちょっと熱いな」と感じるくらいのほどほどの熱量が保たれている職場を選んだ方が、「自分は仕事をさせられている」と感じさせられる主観的な時間は短くなるから、トータルで体感する「つらさ」は下回ることもよくある。

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仕事で得るのは「安心感」や「金銭」だけではない

だれもが憧れているはずの、リラックスした雰囲気で、業務負荷も軽く、ノルマなんかもってのほかで、人間関係もほのぼのとしている「ゆるい職場」を辞めてしまうというのは、傍から見ればどう考えても道理に合わないし、とてももったいないように思える。いったいなぜそんな人がいるのか?

その理由は簡単で、私たちは仕事を通して「安心感」や「金銭」だけではなく「自分がここにいる理由」を欲しがるからだ。

ようするに、「なぜ自分がこの仕事をしているのか」「なぜこの仕事が存在しているのか」「自分がこの仕事をすることでだれに貢献できているのか」といった理由をこそ、私たちは仕事でぜひとも得たいと欲しているのだ。それはときに高い給与や充実した福利厚生よりもずっと重要で優先度の高い要素になる。

「金払いの良さ」はもちろんだが、近ごろ流行の「心理的安全性」もあるに越したことはない。あるに越したことはないのだが、しかしそれだけのために私たちは働いているわけではないし、働くモチベーションを得られるわけでもない。