「苦手なこと」はAIに任せる、という選択肢

AIというツールを用いることで、プロフェッショナルのクリエイティビティがより発揮されやすくなるように、自分でやると時間がかかることや苦手な部分をツールに任せられたら、個々人の特技や才能、個性は、もっと自由に伸ばしていけるでしょう。

ツールを禁じることで、そこに無用な足かせをはめてしまうのはもったいないと考えます。

先ほども述べたように、時間がかかっても自分で体得すべきか、ツールを使う効率性を取るべきかは、個々の目的によって異なります。

したがって、「ジェネレーティブAIを使って、すべての学びを効率化すべし」というのも、「そんなものは使わず、すべてをゼロから学ぶべし」というのも極端な見方だと思います。

従来は自分でゼロから学ぶしかなかったところへ、「ジェネレーティブAIを使う」という選択肢が加わった。この点が重要で、特に社会人の学び直しには大変革をもたらすだろうというのが僕の見方なのです。自分の脳というメモリーも、学びに使える時間も有限ですから、何に脳と時間を使うのかは各々で決めればいいと思います。

ツールの使用を前提として、いろんな作業の体得に必要な脳と時間を、プロンプトエンジニアリングを学ぶことに費やしたほうが、将来的に、より自分の能力や才能が拡張される可能性もあります。

写真=iStock.com/metamorworks
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ChatGPTへのアクセスを禁止したニューヨーク市教育局

一方、ニューヨーク市では2023年1月には、学校の端末からChatGPTにアクセスすることはできなくなりました。実質上の禁止措置です。

ChatGPTを使うか否かは、個人の選択であると同時に、学校教育のことを考えれば、社会の選択であるともいえます。

AIを使った学びを学校の授業に導入するのかどうか。AIがあれば漢字も計算も自分で手を動かす必要がないなかで、これからも従来と同じように漢字ドリルや計算ドリルを必須とするのか。

あまりにも個人の能力に共通項がなさすぎると、社会分断の元になるという見方もありますが、ニューロダイバーシティ(脳や神経の多様性による個性を尊重し、それらを社会のなかで活かすことが大切だという考え方)の観点からいえば、個人的には、何を体得し、何をAIに任せるのかは十人十色でいいと思います。

「平均的であること」や「まずは基礎的な型を覚えること」を重んじる日本社会では、難しい部分もあるかもしれませんが、このことについて、皆さんはどのように考えるでしょうか。