オシムが予定表を作らなかったワケ
なにしろチームドクターの仕事は多岐にわたる。選手の入団時などにメディカルチェックを翌朝までにやってくれとか、外国人選手の夫人が発熱したので今から見てほしいといった要望にも応えなくてはならなかった。
そのうえ、キャンプ後の3、4月は、途中からリーグ戦も開幕したというのに丸々2カ月、61日間オフは一日もなかった。困ったのはそれだけじゃない。オシムジェフで「スケジュール表」が配られたことはほとんどない。練習後にようやく翌日の集合時間が決まるのだ。チームから「オシムさんが今日は午後ではなく午前10時から練習を始めると言っている」などと突然連絡が入ることも少なくなかった。
この当時、池田の家には幼い息子と娘がいた。子育ては全面的に妻任せであった。午前中に大学へ行って仕事をした後、いったん自宅へ戻ってからジェフの練習に出かけようとする父に、娘がこう言った。
「お父さん、今度またおうちに遊びに来てね」
池田がたまらず「なぜ予定表を作らないんですか?」とオシムに聞くと「休みに合わせて遊んだり、デートするからだ」と返された。選手にはこう言い放った。
「選手が疲れているかどうかを判断するのは私だ。それに、おまえたちは休んでるじゃないか。今日の練習は午前中で終了した。明日は夕方からだ。ということは24時間以上休みを与えている」
記者からの「選手を休ませないないのか」という質問にはこう答えた。
「忘れないでほしいのは、休みから学ぶものは無いということ。選手は練習と試合から学んでいくものだ」
選手もコーチも池田も、最初からオシムに振り回され続けた。
「まるで別のチームを見ているかのようでした」
ところがある日、池田は自分の仕事を忘れ一瞬練習に見入ってしまう。
「ボールがつながるようになってたんです。あれ、選手たち、上手くなってるぞと驚きました。キャンプから帰って来て3週間くらいでしょうか。医者の僕が言うコメントではないかもしれませんが、まるで別のチームを見ているかのようでした」
一方で池田は「オーバートレーニングになっているのではないか?」と心配もしていた。選手はかなりの負荷をかけられていたからだ。試合翌日も休まず練習する。大学や社会人チームとのトレーニングマッチが入れられるときもあった。けが人を出してしまえば、ドクターの責任だ。
優勝争いを演じ3位に入ったファーストステージを終え、セカンドステージに入る前にミニキャンプが行われた。すると、1日で2人も肉離れを起こした。池田は「監督にメディカルに問題があると言われるんじゃないかと内心ドキドキした」が、報告に行くとこう言われた。
「いや、今みたいにやっていれば、あと2、3人(けが人が)出てもおかしくないぞ」
池田は「拍子抜けしました」と苦笑する。
「それとともに、オシムさんはどれだけ厳しいトレーニングを選手がやっているかをわかってやってるんだと思いました。その後、そのときの予言通り、実際に故障者は増えたのです」