番記者が感じた選手とのギャップ

オリックス監督時代の3年間を、私は番記者として見続けてきた。

岡田の野球観は鋭く、さらに独特の“岡田語”のロジックは、その二手先、三手先の結論が先に来るものでもある。プロセスの詳しい説明が省かれるケースがほとんどなのだ。

岡田は、それを「プロやん。察さなアカン」という。

しかし、当時のオリックスの選手たちには、悲しいかな、それを読み切る力がまだなかった。勝ち方を知らない弱いチームでは“岡田の意図”を瞬時に理解できないのだ。

2004~2008年の阪神・第1次岡田政権当時は、金本知憲、下柳剛、藤川球児、新井貴浩(広島/駒大/08年移籍)、桧山進次郎ら経験豊富で、実力も実績も兼ね備えた主力たちが、それこそ全盛期の時代だった。

岡田が「1」を言えば「10」分かってしまうような選手ばかりだ。

大きな指針を示せば、選手たちは目的地に向かって、それぞれのやり方で、きっちりと定められた時間にたどり着くことができたのだ。

その“成熟した阪神”と“未熟なオリックス”とのギャップは大きかった。

阪神時代のスタンスだった岡田に、次第についていけなくなったオリックスの選手たちとの溝が、年々深まってしまっていたことを、番記者の一人としてひしひしと感じていた。

「阪神優勝」の準備は整った

阪神監督復帰が決まった直後の2022年秋季キャンプ。

岡田は足繁く選手のもとへ足を運び、直接アドバイスを送り、自らスイングをして見せたり、守ってみたりと、実際に動きまで見せ、実に懇切丁寧な指導をしていた。

時代の流れ、選手の気質、育ってきた環境。そうした変化を踏まえたのだろう。岡田は間違いなく、かつての“アプローチ”を変えている。

そして、就任会見でも、新人選手の入団発表でも、岡田は「アレ」と言い続けている。笑いのオブラートで包みながら、進むべき方向を指し示しているのだ。

そうした岡田の一連の言動は、かつてのドラフト1位たちの心にも響いている。

彼らはそれこそ、異口同音に「阪神は強くなる」と力説するのだ。