※本稿は、喜瀬雅則『阪神タイガースはなんで優勝でけへんのや?』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
負け続きのオリックスを岡田監督が変えた
インターネットの検索ワードに「2010年」と入れてみる。
プロ野球界は、セ・リーグ優勝が中日。パ・リーグは3位の千葉ロッテがクライマックス・シリーズを勝ち抜き、日本シリーズでも中日を下して「下克上」の日本一を達成した。
どれもなんだか、ついこの前のことのように思える。
そう言い出したら、人間、年を取った証拠だとよくいわれるものだが、こうした「歴史の1ページ」を開いてみただけで、時の流れの早さを身に染みて感じるものだ。
その年、セ・パ交流戦で「優勝」したのが、岡田彰布が監督1年目のオリックスだった。
岡田が監督に就任する直前までの10年間で、最下位5度を含むBクラス9度。まるで勝ち方を忘れていたかのようなオリックスに、岡田は新たな風を吹き込んだ。
まず、平野佳寿をリリーフに回し、交流戦前には岸田護もストッパーに転向させた。
先発でもローテーションの軸になれる2人でブルペンを強化し、打線も当時22歳のT―岡田を「4番」に据えると、交流戦の始まる5月頃から、投打がうまくかみ合い出した。
借金「6」で突入した交流戦は、巻き返しのための絶好の機会だった。
「そら、貯金作らなアカンわ。交流戦でつまずくと悪なるし、その逆もあるからな」
当時の交流戦は24試合制だから、15勝9敗でいけば勝率5割に戻せる計算になる。その成績ならば、交流戦優勝の可能性だって膨らんでくる。
「いらんこと言うたらアカン」
岡田の言葉を読み解けば、優勝して5割復帰、いや貯金生活へ、という勝敗ラインを想定しているとなる。
番記者たちは、だから「優勝」へと水を向けてみた。
ところが、そこにやすやすと乗ってくれない、こちらの期待するような見出しを立てさせてはくれない。心はお見通しとばかりに、釘まで刺してきた。
「言うたら、おかしなことになるんよ。いらんこと言うたらアカン」
つまり「優勝」という単語を封印する、というわけだ。