なぜ優勝という単語を封印するのか
理由を説明するために岡田が持ち出したのは、阪神監督時代の2008年、ソフトバンクと交流戦の優勝を争い、最終戦で逃したというエピソードだった。
「コーチがな、ミーティングでよ。『お前ら、こんなんやったら優勝でけへんぞ』って言いよったんよ。あれからアカンようになったんよ」
そのコーチの意図は、もちろん選手の気を引き締めるためのものだろう。
しかし岡田は、それを逆に“心のスキ”と見たのだ。
「優勝」へ向かう「船」の舵を取り、方向性を示すのが船長の岡田なら、コーチたちは安全航行のために、船の中の持ち場で、それぞれの役目をこなすことが大事なのだ。
なのに船内より、船外の方に意識が向いている。地に足がついていない。
「そやから俺、言うたんよ。『そんなしょうもないこと、絶対言うな』って。その気になったら、アカンということよ」
その日から、岡田オリックスでは「優勝」が“NGワード”となった。
「アレ」が誕生したきっかけ
オリックスは、交流戦で優勝戦線に浮上してきた。
6月2日の中日戦(ほっともっとフィールド神戸)では、8回裏の時点で0―7のビハインド。そこから終盤2イニングで同点に追いつき、最後は延長11回、T―岡田が3ランを放っての劇的なサヨナラ勝利を飾った。
「この勝ちは大きいよ。最後まで諦めへんかったら、こういうことは起こるんよ」
ミラクルモードに入った岡田オリックスに、周囲の期待も盛り上がってくる。
しかし、ここが関西のチームらしさだ。
激励に来たオーナーの宮内義彦も「言いません。監督が言わないのに、私も言いません。『アレ』のことですよね? 言いませんよ」
京セラドーム大阪に、毎試合のように応援に訪れていた岡田の母・サカヨさんも「アレやろ? 言うたらアカンから、私も言わんようにしてるんよ」
報道陣と岡田の会話でも「アレ」が頻出し、決して「優勝」のワードを出さなかった。
その“努力のかい”もあったのか、交流戦の最終戦で見事に優勝を決めると、球団は「交流戦優勝Tシャツ」を作成した。
左胸には「アレしてもうた」という、どでかいロゴがプリントされていた。
「ホンマか? 作ったんや?」
岡田も、大笑いしていた。番記者だった私も、球団から“アレTシャツ”をいただいたが、それを着て外へ出る勇気(?)はなく、引っ越しの際に処分してしまった。
今となっては、取っとけばよかったかな……。
それはともかく、岡田は阪神復帰とともに「アレ」をフル活用している。