全く褒めない母親と無関心な父親

町田さんは、小さい頃から生き物に興味があり、本を読んだり、絵を描いたりすることが好きだった。「獣医さんになりたい」という目標を持った町田さんは、自分から「塾に通いたい」と言い、母親は、「お嬢様じゃないんだから……」などとブツブツ言いながらも承諾。町田さんは、両親に言われることなく自分で勉強した。

中学に上がると、成績は常に学年上位をキープし、高校は母方の祖母が夢見ていた、県内有数の進学校に入学。祖母は勉強ができる孫をとてもかわいがり、褒め称えたが、父親は無関心、母親は全く褒めなかった。

「母と祖母は仲が悪く、母は、自分が求める家事を私ができないので、『金食い虫』『最低な人間』『思いやりがない』などと、ことあるごとにののしってきました。幸い、母と関わる時間が、朝に学校に行く前と、学校から帰宅して母が仕事に出発するまでの時間しかなかったので、私は心を壊さずにいられたのだと今は思います」

中学校では吹奏楽部、高校では弓道部に所属していたが、両親は学校で娘が何をしていようが無関心だった。練習で遅くなったときや、コンクールや大会などの際、友人の親の車に一緒に乗せてもらうことがあったが、友人の親には大抵、「あのよく喋る子でしょ?」と覚えられていた。町田さんは家の中で人と話す時間がほとんどなかったため、その分外で喋っていたのだ。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/JGalione)

自分の家庭のおかしさに思うところはあったが、他にも親に苦労させられている友人はいたため、町田さんはその都度、愚痴を言い合って発散したり、通い続けていた塾の講師に相談して助言をもらったりしていた。講師からは、「早く自立して生きられるようになって、親元を離れたほうがいい」とアドバイス。町田さんは獣医になる道を諦め、看護大学に進学した。