送別会中の夫から届いた一通のメール

夫はいきいきと仕事に邁進するようになり、私は孤独を感じるようになった。私はこの広い世界で、たった一人でこの双子を育てているのだと考えるようになり、たとえ家のなかに誰かがいたとしても、私は一人なのだと信じ込み、双子を育てあげなければ、絶対に失敗してはならないと、決意を固くした。

そう考えるようになった途端に夫への執着が薄れ、夫が「今日は残業」とメールを寄こせば、「がんばって」と答え、「今日は送別会」と言われれば、「了解」と返すようになった。

夫が家にいようがいまいが、まったくこだわることもなくなったし、むしろ、夫の手から育児を取り上げるようになっていった。なぜなら、この育児は私一人が完璧にやり遂げなければならないものだと、私がぎりぎりの精神状態で、自分を追い込んだからだ。

そんな恐ろしいある日のこと、夫がいつものように、「ごめん、今日は送別会!」とメールを送ってきた。双子の面倒を見ながら、いつものように「了解」と返事を出した。そして、ようやく眠りはじめた双子に添い寝して、私も、うとうととしはじめた。

三十分ほど経ったときだろうか、メールの着信を知らせる音が携帯から鳴った。夫からだった。今から帰るというメッセージとともに、ラーメン店で同僚とラーメンを食べ、笑顔でピースサインをする夫の写真が添付されていた。それを見た瞬間、私のなかで何かがはじけた。

両腕にミルク缶を抱えてガレージへ…

ふらふらと立ち上がった私は、両腕に育児用粉ミルク缶を抱えて、ガレージまで歩いて行った。

ガレージに行き、夫が大切にしていたバイクの前に立ち、ミルク缶の蓋を開けた。そして、中身をすべてバイクにぶちまけた。一缶が終わり、そして二缶目もすっかり空にした。そして、空になったミルク缶を渾身こんしんの力でガレージの壁に叩きつけ、バイクを思い切り蹴り、静かに双子の寝ている部屋に戻って、私も眠ったのだった。

村井理子『ふたご母戦記』(朝日新聞出版)

この日以降、夫は徐々に変わり、育児に積極的に関わるようになった。私は夫の助けを徐々に受け入れるようになり、安心して育児を夫に任せるようになった。私も夫も、バイクの話は口にしなかったし、夫はガレージのミルクの粉をきれいに片付け、何ごともなかったかのようにバイクを磨いて、そのまま乗り続けた。

この大事件から数年経過したある日、外出から戻った夫が、「バイクで信号待ちしてたら、ハンドルのあたりから粉ミルクが落ちてきたわ」と愉快そうに言った。今となってはわが家の定番の笑い話になっているが、当時はそれほどまでに追いつめられていたのだと、ふと恐ろしくなることがある。

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