一流は自分ができること、できないことを自覚する
この謙虚というのは「いやいや、私なんか……」と卑下することではなく、自分ができることと自分ができないこと――これをきちんと分析して理解している状況。自分自身のことを客観的に見えている状態のことです。
世の中で“一流”と呼ばれる人たちは、自分のできないことがわかっているからこそ、決して今の自分自身に満足することがないのでしょう。
自分自身で「俺はすごい!」と豪語する一流はいませんよね。飽くなき探求心があるからこそ、プロフェッショナルと呼ばれる存在になれるわけです。客観的に自分の強みも弱みも冷静に判断できる人は、成長します。
自惚れている時点で三流であることに、まずは気づくべき。これを肝に銘じていただきたいと思います。
「あの人よりマシ」というちっぽけな優越感は幸せを遠ざける
先ほど紹介した「慢」とは、他人のことを、自分より上か、下か、同じくらいかで判断したくなる衝動のことです。
この「慢」が原因で生まれる負の感情が「軽蔑」です。
相手は自分よりも下であると見下したり、バカにしたりする際に生じる感情だからです。これは人間が本能的に持つものではなく、きわめて“社会的な感情”と位置づけることができます。
軽蔑は、私たちが生きるうえでまったく必要のない感情です。無意味で無価値。そう断じてしまっても構いません。
自分が誰かのことを蔑んだとします。
「あいつは俺よりも学歴が低いから、たいしたことないな」
「あの子、たいしてかわいくもないのに無理して厚化粧しちゃって」
このように思うと、一瞬は優越感に浸れるかもしれません。
でも、状況はなにも変わらないのです。誰かを軽蔑しても、仮にそれが客観的な事実であったとしても、あなた自身の能力が格段に上がるわけでも、容姿が良くなるわけでもありません。著名人のスキャンダルに対してもそうです。
相手を軽蔑したところで、自分のレベルが上がるわけではない
ルックスも、経済力も、社会的知名度も、なにもかも自分とは別次元で勝てないと思っていたアイドルや俳優が、不祥事を起こしたり、異性関係のトラブルに巻き込まれたりすると、ここぞとばかりにバッシングを始める人がいます。
著名人を「そんなことをする人だとは思わなかった」と軽蔑して叩いて、不倫をしない自分、ドラッグなどに走らない自分のほうがマシだ、上だと思う。自分は正しく相手は間違っているのだ、自分のほうが優れているのだと思いたいわけです。
しかし、それになんの意味があるのでしょうか?
どんなに対抗意識を燃やしたところで、あなた自身にも、あなたを取り巻く環境にも、いっさい変化が生じることはありません。