「E.E.佐藤」「戦犯」の声に一時は「死にたい」とまで思った

星野仙一監督率いる日本代表はメダルを逃すことになる。「戦犯はG.G.佐藤だ」と言われ、「エラー」を意味する「E」をもじって、「E.E.佐藤」と揶揄されることになった。一時は、「死にたい」と周囲に漏らすこともあったという。

「帰国後にも、いろいろ批判は受けました。しばらくの間はかなり引きずりました。すごく病んでいたんですけど、ある日のワイドショーでの沙知代さんの言葉に救われました」

当時、ワイドショーのコメンテーターとして活動していた野村沙知代は、北京オリンピックの話題の際に彼を擁護した。彼女が話したのはこんなことだった。

「この子、私の教え子なのよ、そんなに責めないでよ、守備は本当は上手なんだから」

G.G.の白い歯がこぼれる。

「あの言葉は本当に嬉しかったですね。中学時代はさんざん厳しい言葉をかけられたし、ぶっ叩かれることもあったのに、まさか、沙知代さんからあんなに優しい言葉をかけてもらえるとは思わなかったですから(笑)。僕が港東にいたということを認識してくれているのも嬉しかったし、僕のことをフォローしてくれたのも嬉しかったし」

G.G.佐藤選手(写真=Nsgok/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

G.G.佐藤に亡くなる直前の野村克也がかけた一言

さらに、G.G.は野村からも北京の一件で優しい言葉をかけられている。

野村克也(写真=shi.k/CC-BY-SA-2.0/Wikimedia Commons

「亡くなる数日前に、テレビ番組の収録で野村監督とご一緒しました。お会いした瞬間、自分でも意外なことに涙が一気にあふれてきました。野村さんがいたからこそ、僕は高校でも大学でも野球を続けることができ、プロ野球選手にもなれたと思っています。そうした感謝の思いが、涙になって出てきたのでしょう。このとき、北京五輪の話題が出ました。野村監督は僕の目を見ながら、こんな言葉をかけてくれました……」

野村はG.G.に諭すように告げたという。

「エラーしたお前の勝ちや。北京オリンピックに出たメンバーで、誰が世の中の人の記憶に残っている? お前と星野の二人だけや。名を残したお前の勝ちや……」

北京五輪からすでに11年半が経過していた。心の傷はかなり癒えていたものの、このときの野村の言葉によって、G.G.は完全に救われた。

「野球は失敗のスポーツです。10回打席に立って3回ヒットを打てば一流打者と呼ばれます。つまり、7回の失敗が許されるスポーツです。ならば、その7回の失敗をどうやって次に生かすかが大切になります。また、失敗するというのは行動しているということの証明でもあります。バットを振れば三振も凡打もあるけど、バットを振らなければ絶対にヒットは生まれない。失敗を恐れて何も行動しなければ、何も結果は生まれない。北京でのエラーによって、心に深い傷を負ったのは事実だけど、野村監督の言葉によって、僕はようやく前向きな気持ちを取り戻し、“過去の失敗を生かしつつ生きていこう”と決意できるようになったんです」

G.G.佐藤の胸の内には今でも野村克也、沙知代の言葉が息づいていた。