「クソ親父って叫ぶくらい、大っ嫌いでした」
事業に携わる家族全員のベクトルが桒水流会長と同じ方向に向かなければ、経営を持続させることは不可能に違いない。
幼少期には、家が養豚農家であることが「心底イヤ」で、年中仕事に明け暮れ、休日もなく豚舎の手伝いを強要してくる父親のことが「本当に大っ嫌い」だったという3姉妹が、経営者として父親に絶対の信頼を置くようになるまでには、別のドラマがあった。
3姉妹の中でも、父親と激しく衝突したのが次女の丈菜さんだった。
「とにかく束縛されるのが嫌でした。それなのに父の言うことは絶対で逃げられない。反抗して反抗して、家族写真からお父さんを切り抜いて捨てるくらい。クソ親父って叫ぶくらい、大っ嫌いでした」と笑う。
家業とはかけ離れた「きれいな業界」で働きたいと、宮崎の高校を卒業してすぐに東京の美容学校から都内の美容室に就職した。「絶対に宮崎には戻らない」と誓って、将来の独立を夢見た。
だがある日、都内の百貨店の催事に立つ父親から電話がかかってきた。
「休みじゃったら一日だけ手伝ってくれんか。まだ一つも売れんからお前の力を貸してほしい。俺は今、勝負をかけている」
威張っている父が、頭を下げまくっていた
イヤイヤながらも絶対的な父の言葉に従い、初めて催事の売り場に立った。その日から、丈菜さんの人生は父親の突き進む方向へと大きく、ベクトルを変えていくことになる。
「自分の商品を売っている父を見る機会はその時が初めて。売り上げがないと半年後とか1年後には呼んでもらえないから、催事期間の1週間が勝負。とにかく必死な様子でした」
休みのたびに手伝いを続けると、それまで知らなかった父親の姿が見えてきた。
「お父さんは家ではすごい威張っているのに、バックヤードでは自分よりもかなり年下のバイヤーさんにものすごい頭を下げている。売り場ではお客さんに丁寧に説明し、休憩室に行ったら業者さんとやりとり。
夜はメーカーさんの集まりに参加して、5万とか6万とかのお会計をこっそり、私に曲がった財布を渡して払いに行かせる。その日の売り上げは2万円とかなのに。大丈夫なの? と聞くと、『いいんだ勉強させてもらっているんだから』っていうんです。毎日ATMに行ってそんなことを続けている。そんな父を見た時に、雷に打たれたようになって。お父さんかっこいいなって。反抗している場合じゃないって思ったんです」
20歳になる年だった。