「東京佐川急便事件」でも逮捕されなかった理由

平成に入って間もない一九九〇年代初頭、検察に対する世の中の不満が爆発したのが、九二年の東京佐川急便事件だった。この事件では、東京佐川急便から多数の政治家に巨額の金が流れたことが報道され、同社の社長が特別背任容疑で逮捕されたことで大規模な疑獄事件に発展するものと検察捜査に期待が高まった。

しかし、いくら巨額の資金が政治家に流れていても、国会議員の職務権限に関連する金銭の授受は明らかにならず、結局、政治家の贈収賄事件の摘発は全くなかった。

自民党経世会けいせいかい会長の金丸かねまるしん氏は、佐川側から五億円のヤミ献金を受領したことが報道され、衆議院議員辞職に追い込まれた上に、政治資金規正法違反に問われたが、東京地検特捜部は、その容疑に関して金丸氏に上申書を提出させ、事情聴取すらせずに罰金二〇万円の略式命令で決着させた。

検察庁合同庁舎前で背広姿の中年の男が、突然、「検察庁に正義はあるのか」などと叫んで、ペンキの入った小瓶を建物に投げ、検察庁の表札が黄色く染まるという事件が起きたが、それは多くの国民の声を代表するものだった。このような金丸氏の事件の決着は、国民から多くの批判を浴び、「検察の危機」と言われる事態にまで発展した。

「上申書決着」検察は何も間違ってはいない

しかし、政治家本人が巨額の「ヤミ献金」を受領したという金丸氏の事件も、政治資金規正法の罰則を適用して重く処罰すること自体が、もともと無理だった。当時は、政治家本人に対する政治資金の寄附自体が禁止されているのではなく、政治家個人への寄附の量的制限が設けられているだけだった。しかも、その法定刑は「罰金二〇万円以下」という極めて低いものであった。

加えて、そのヤミ献金が「政治家本人に対する寄附」であることを本人が認めないと、その罰金二〇万円以下の罰則すら適用できなかった。

そのような微罪で政治家を逮捕することは到底無理であり、任意で呼び出しても出頭を拒否されたら打つ手がない。そこで、弁護人と話をつけて、金丸氏本人に、自分個人への寄附であることを認める上申書を提出させて、略式命令で法定刑の上限の罰金二〇万円という処分に持ち込んだのであった。

検察の行ったことは何も間違ってはいなかった。政治資金収支報告書の作成の義務がない政治家本人への献金の問題について極めて軽い罰則しか定められていなかった以上、検察が当時、法律上行えることは、その程度のものでしかなかった。しかも、それを行うことについて、本人の上申書が不可欠だったのである。