教育ママの母親
母親は教育ママだった。上地さんは小学生の頃から塾に通わされ、テストの点が悪かったり、塾での順位が低かったりすると、怒鳴られ、夕食を与えられなかった。
「父方の伯父(父の兄)の子供2人は名門私立中学に合格し、エスカレーターで大学生になっていたため、その伯父家族に負けたくないと思っていたのだと思います。姉と私、特に私は、小学生時代にひどい教育虐待をされました」
上地さんが最も忘れられないのは、塾での成績が悪く、母親に怒鳴られ、なじられ、土下座までさせられたときの記憶だ。
「こんな成績であんたどうするの? あのダッサい制服の公立中学に通うの? 勝手にすればいいわ。そうなったら知らない。こんな点しか取れないなんて、勉強したくない、中学受験したくないってことでしょ? そんな子のことなんて構ってられない。恥ずかしい。受験したいの? 塾行くわけ? 勉強するの? だったらそこに土下座してお願いしなさい! どうするの?」
母親にまくしたてられた上地さんは、「中学受験させてください! 塾に行かせてください!」と、土下座して泣いてお願いした。
「今なら、『それなら公立中行くわ!』って言いますが、11〜12歳では、母に見捨てられると思い、とても言えませんでした。父は助けてくれないと分かっていましたし、泣いて土下座するしかありませんでした」
つらい思いをし、土下座までして挑んだ中学受験だが、上地さんは失敗。落ち込んで泣いていた娘に対して母親は、
「泣きたいのはこっちだ! お姉ちゃんだってあんたに期待していたのに。お姉ちゃんのお友達の妹は合格したってさ!」
と心ない言葉を浴びせかける。それでも、上地さんはずっと母親が大好きだったそうだ。
「幼少期は割と頭が回る方で、勉強しなくても覚えてしまうことが多く、怒られず良い子でした。学校などで問題を起こしたことはないですし、私は母のお気に入りでした。私も母が大好きでした。言うことを聞いていれば優しくしてくれたからです」
一方、両親の夫婦仲は上地さんが物心ついた頃にはすでに冷めきっていた。母親は父親をほぼ無視して、父親は母親に反抗すると面倒だと思っていたのか、言われるがまま。上地さんが中学受験の頃も、母親に怒鳴られている娘を横で見ているだけ。母親から、「勉強しているか監視して!」と指示されれば、上地さんが勉強している後ろでずっと監視していた。3つ上の姉に対してはどうだったのかといえば……。
「母は私びいきでしたから、姉は寂しい思いをしたのではないかと思います。夫婦げんかをすると、母は自分の実家に私だけを連れて行きましたから。勉強についても、私ほど期待されていませんでした」
子供時代、上地さんは友人と遊ぶよりも、家で母親といることが好きだった。思春期を迎えても、反抗期はなかったという。