床面が大きく傾斜した「櫓」

たとえば北腰曲輪の「ハの渡櫓」の軒先が美しい弧を描いているのは、それが載る石垣が湾曲しているからであり、上山里曲輪東方の太鼓櫓の床面が大きく傾斜しているのは、ゆがんだ石垣上に建てられたからである。

本多時代に築かれた西の丸は、地山の岩盤を削り、その土砂で谷を埋め、周囲に高石垣を築いて平坦な土地を生み出している。比較すると、姫山における旧式の縄張りの特徴がよくわかる。

香原斗志『教養としての日本の城』(平凡社新書)

一方、大天守と3棟の小天守が渡櫓で連結された、壮麗な連立式天守が載る天守台の石垣は、粗削りした加工石を積み上げた「打込ハギ」で、上物が建てられた慶長6~14年(1601~09)にあらたに積まれたものではある。しかし、そのわりには天守台の平面はいびつなかたちをしている。

3つの小天守は、いずれも平面がゆがんでいて正方形でも長方形でもなく、大天守も東面の石垣が南に向かって狭まっていて、2重目まではゆがんだ石垣上にそのまま、ゆがみを修整せずに建てられている。

じつは天守群も、羽柴時代の3層4階の天守を壊したあとに建てられていたのだ。

昭和の大修理の際、大天守台のなかに羽柴時代の天守台が収まっているのが確認され、そのことから、池田輝政が天守を新造する際、あたらしい石垣も羽柴時代の縄張りに沿って積まれたことがわかった。

旧式の縄張り×最新の築城技術

先に、姫路城の天守群が立体的に重なり合う美しさに触れた。この摩天楼が林立するかのような景観は、旧式の縄張りを基礎にした、きわめて狭い天守台上に建てるほかなかったことの副産物ともいえる。

むろん、池田輝政は美観を意識しただろうが、天守群を中心に建造物が濃密に重なり合う美しさは、旧式の縄張り上に最新の築城技術を応用したハイブリッドによって生み出された美なのである。

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