織田信長が琵琶湖の東岸に建てた安土城とはどんな城だったのか。歴史評論家の香原斗志さんの新著『教養としての日本の城』(平凡社新書)の第1章「安土城」より、一部を紹介する――。(第1回)
安土城天主 信長の館
安土城天主 信長の館(写真=Panoramio/baggio4ever/CC-BY-3.0/Wikimedia Commons

宣教師が驚愕した安土城天主の姿

安土城の天主(安土城と、その前に信長が居城にした岐阜城には、信長自身の命名といわれる「天主」という表記がもちいられる)はどんな姿をしていたのだろうか。

信長とたびたび面会し、安土城にも招かれたイエズス会の宣教師、ポルトガル人のルイス・フロイスが書き遺した『日本史』から引用する。

「(城の)真中には、彼らが天守(ママ)と呼ぶ一種の塔があり、我らヨーロッパの塔よりもはるかに気品があり壮大な別種の建築である。この塔は七層から成り、内部、外部ともに驚くほど見事な建築技術によって造営された。事実、内部にあっては、四方の壁に鮮やかに描かれた金色、その他色とりどりの肖像が、そのすべてを埋めつくしている」

「外部では、これら(七層の)層ごとに種々の色分けがなされている。あるものは、日本でもちいられている漆塗り、すなわち黒い漆を塗った窓を配した白壁となっており、それがこの上ない美観を呈している。他のあるものは赤く、あるいは青く塗られており、最上層はすべて金色となっている」

「この天守は、他のすべての邸宅と同様に、われらがヨーロッパで知るかぎりのもっとも堅牢で華美な瓦でおおわれている。それらは青色のように見え、前列の瓦には金色の丸い取付け頭がある」(『完訳フロイス日本史』松田毅一・川崎桃太訳)

安土城の天主台入り口
安土城の天主台入り口(『教養としての日本の城』より)
礎石が残る安土城天主台
礎石が残る安土城天主台(『教養としての日本の城』より)

最上層の7階はすべて金

外観5重、内部は地上6階、地下1階で、計7階建ての壮麗な天主。信長の旧臣の太田牛一が記した『信長公記』(巻九)の記述で、さらに具体的に補っておきたい。

「六重め、八角四間あり。外柱は朱なり。内柱は皆金なり。釈門十大御弟子等、尺尊成道しゃくそんじょうどう御説法の次第、御縁輪には餓鬼ども、鬼どもがかゝせられ、御縁輪のはた板には、しやちほこ、ひれうをかゝせられ、高欄ぎぼうし、ほり物あり。

上七重め、三間四方、御座敷の内、皆金なり。そとがは、是又、金なり。四方の内柱には、上龍、下龍。天井には天人御影向の所。御座敷の内には、三皇、五帝、孔門十哲こうもんじつてつ商山四皓しょうざんしこう、七賢などをかゝせられ、ひうち、ほうちやく、数十二つらせられ、狭間戸鉄なり。数六十余あり。皆、黒漆なり。御座敷の内外柱、惣々、漆にて、布を着せさせられ、其の上、皆黒漆なり」

6階(地上5階)は八角堂で外柱は朱塗り、内柱はすべて金で装飾され、内部は釈門十大御弟子や釈尊成道御説法などの仏画で飾られ、縁には餓鬼や鬼が描かれた。

そして最上層の7階は、外側も内側もすべて金で、座敷内には三皇、五帝、孔門十哲、商山四皓、七賢などの絵が描かれていた、という内容である。

一方、下層の障壁画は花鳥や賢人が描かれていた旨が記されている。