9メートルの巨大気球に仕掛けられた爆弾
米CBS系列のソルトレイクシティ局「KUTV」は、当時の保安官が経験した忘れがたい1日を紹介している。
1945年の冬のことだった。ウォーレン・ハイド保安官は、ソルトレイクシティの北にある事務所で電話を取った。ハイド保安官が受けた電話は、地元の農家からの通報だった。彼の畑に奇妙な機械が漂っており、大きな風船あるいはパラシュートのようなもので浮いているという。
車を飛ばしたハイド保安官が現場で目にしたのは、直径およそ30フィート(約9メートル)、ビル3階分の高さもあろうかという巨大な気球だった。太いロープで爆弾がつられている。
保安官は即座に理解した。目の前で揺れる球体は、アメリカ中で目撃が続く奇妙な気球のひとつであり、軍当局が喉から手が出るほど情報を欲しがっている新手の兵器の現物だ。回収して当局に届けねばならない。
気球にしがみついた彼だが、巨大な気球の浮力はすさまじい。保安官の巨体はいともたやすく宙に浮いたという。しがみついたまま渓谷を横切り、風に翻弄され、ぐるぐると回る気球に吐き気を覚えた。
ジェット気流に乗り、数日でアメリカ本土に
指のしびれが限界に達した頃、ハイド保安官を乗せた気球はヨモギの生い茂る谷底へ向け、ゆっくりと降下を始めた。谷底の根に腕を絡ませ、保安官はなんとか気球を留めることに成功した。
45年後、保安官は他界したが、逸話は息子へと語り継がれた。息子は2015年、ニューヨーク公共ラジオ番組のラジオラボの取材に応じ、こうした一連の顚末を詳細に語っている。
日本軍が放った1万機の気球はジェット気流に乗り、早いものではわずか数日でアメリカ本土に届いたようだ。
気球というと簡素な造りが思い浮かぶが、実際のところは太平洋を渡るため、相応に込み入ったからくりが備え付けられていた。米スミソニアン誌は、航空専門家のロバート・ミケシュ氏の著書『Japan's World War II Balloon Bomb Attacks on North America』を基に、「凝ったメカニズム」で海を越えたと報じている。
それによると、ちょうど乗り物の熱気球と同じように、気球兵器は複数の土嚢を備えていた。飛行高度が低下すると、土嚢を結び付けている紐が自動的に爆薬により切断され、軽量化して再び上昇するしくみだったようだ。
32個の土嚢を使い果たすまでこの動作を繰り返すと、その頃にはちょうどアメリカ本土の上空に到達している。土嚢をすべて失った気球は、今度は土嚢と同じ要領で、搭載の爆弾を切り離して投下する。