米誌「敵兵器によって命を落とした、最初の、唯一の市民」

爆発に巻き込まれ、アーチーさんは妻のエリスさんとおなかの子供、そして教会に通っていた5人の地域の子供たちを一瞬で失った。唯一生き残ったアーチーさんはスミソニアン誌に対し、決して忘れられない瞬間を振り返っている。

「私は……気をつけろと大慌てで叫びましたが、もう遅かったのです。瞬間、激しい爆発がありました。駆け寄りましたが……みな地面に倒れ、息絶えていました」

オレゴン州の片田舎にまで戦争の脅威が忍び寄ろうとは、地域のだれもが想像だにしないことであった。スミソニアン誌は、「第2次世界大戦中にアメリカ本土で敵の兵器によって命を落とした、最初の、そして唯一の市民となるだろう」と述べている。

気球爆弾は、風の力だけでアメリカ到達をねらう奇抜な作戦だ。日本軍がどの程度の勝算を見込んでいたのか、今となっては知る由もない。1万機が放たれていながら、オレゴン州の一件を除けば、実害はほぼ皆無だ。

現在のアメリカの一部には、気球は直接的な殺傷を目的としたものではなく、本土到達によるパニックを企図していたとの見方がある。

米オンラインマガジンのアトラス・オブスキュラ誌は、「この実験的兵器により、多くのアメリカ人にとって第2次世界大戦は、国土に差し迫るものとなった」と述べ、国民に一定の精神的な影響を与えたと分析している。

アメリカ政府は報道管制を敷き、気球の情報を封鎖した

もっとも、少なくとも300機ほどが本土に到達した気球のうち、爆発が目撃された例はごくわずかだ。同誌によるとある住人は閃光に気づき、別の住人は花火のような破裂音を聞いたという。だが、大規模な火災などを生じるには至っていない。

当時の出来事を刻んだある銘板には、次のように記されている。「発火装置は夜空を明るく染めたが、なんら被害をもたらさなかった」

同誌は日本軍の上層部が、気球を放つことで「パニックを生じ、メディアの注意を広く引きつけ、将来的な攻撃への道筋をつける」よう期待をかけていたと指摘する。

日本の気球「フーゴ」の爆弾は、自動離脱装置付きの「シャンデリア」に取り付けられている。信管を爆発させて土嚢を放出する様子
日本の気球爆弾は、自動離脱装置付きの「シャンデリア」に取り付けられている。信管を爆発させて土嚢を放出する様子(写真=National Museum of the U.S. Navy/PD US Army/Wikimedia Commons

だが、この期待は裏切られる。ワシントン・ポスト紙は、当時のアメリカ検閲局が報道管制を敷き、気球に関する情報を封鎖したと伝えている。日本側に気球到達の事実を知らせないことが目的だった。

情報封鎖は、アメリカ側のねらい通りに功を奏した。現地からの被害情報が届かない日本軍は、気球爆弾の大多数が不発に終わったものと判断。気球作戦は開始から1年とたずに幕を閉じた。