風任せの気球爆弾だが、技術的に成功していた

気球を飛ばした日本軍の狙いは何だったのだろうか。

スミソニアン誌は、「(日本の)技術者たちは、この兵器の威力と森林火災が複合的に作用し、最初の爆発とそれに続く大火災により、恐怖をもたらすと期待していたのである」との見方を示している。

これが現実のものとなっていれば、「これらの気球は、広範な戦争のなかの見過ごされた逸話にとどまることはなかっただろう」とも同誌は述べ、米本土に一定のインパクトを与えていた可能性があると論じている。

ワシントン・ポスト紙によると、航空専門家のミケシュ氏は2020年のインタビューのなかで、日本軍の気球爆弾は技術的にみて成功であったと評価している。実験的手段でありながら、効果を表すまであと一歩のところにあったようだ。

ただし、実質的に不発に終わった理由としてミケシュ氏は、降下地点を制御できない弱みが災いしたと指摘する。大空へ容易に放てるが、その後は文字通り風任せとなる、気球爆弾の本質的な弱点でもある。

ミケシュ氏はさらに、時期を選べばアメリカ側への打撃は拡大していたとも論じている。気球爆弾が放たれたのは、アメリカで森林火災が猛威を振るう夏季ではなく、冬場のことだった。

「彼らにそんな余裕はなかったのです」とミケシュ氏は言う。「打ち上げられるときにやる必要があったのです」

気球爆弾は今も、ひっそりと語り継がれている

気球爆弾の残骸はいまだに、北米大陸の西岸を中心に発見されている。ラジオラボによると、2014年10月にはカナダ西岸のブリティッシュ・コロンビア州で見つかった。測量のため山村を訪れていた技師が、70年間眠っていた不発の気球爆弾を発見した。

日本軍の気球爆弾は、中国の気球が話題となるはるか80年前に観測された奇抜な作戦として今もひっそりと、ものめずらしく語られている。

時を経て良好になった日米関係に、かつて日本軍が行った常識を越えた作戦、そして忘れてはならない6人の命――。気球爆弾は80年の時を越え、戦争の記憶を現代に語り継いでいる。

【関連記事】
なぜロシアや中国は他国を侵略するのか…世界情勢が小学生でもよくわかる「地政学」超入門
幼稚園のお昼寝中、私の下着の中に男児の手が…「子ども同士の性被害」の耳をふさぎたくなる実態
価格は国産哨戒機の6分の1…アメリカ製の大型無人機が自衛隊で「令和の黒船」と呼ばれているワケ
胃袋から肉片、骨、衣類、ソバなどが出てきた…中年男性だけを襲う「幻の巨大ヒグマ連続食害事件」の正体
「ああいう凍傷は見たことがない」…エベレストで指9本を失った栗城史多さんに登山家たちが冷たかった理由