あの日あの時あの場所でフェミに会えなかったら

一方の父は浪速なにわの石原慎太郎みたいな人物だった。私は故慎太郎氏を見るたびに「なつい」と感じていた。「なつい」は若い子に教えてもらって最近覚えた。

体育会系マッチョで昭和のモラハラ親父だった父は、男らしさの呪いをじっくりコトコト煮込んだような人物だった。彼は家庭に無関心な仕事人間だったが、商売がうまくいかなくなり自殺してしまった。

父も「稼げないなんて男失格」という呪いから絶望したのだろうし、「男は強くあるべき」という呪いから弱音を吐けず、助けを求められなかったのだろう。また生前に父が住んでいた部屋はゴミ屋敷状態で「セルフケアできない男性は世話係の女性がいないと死ぬ」という呪いのお手本のようだった。

フェミニズムは人生の役に立つ

両親ともに遺体で発見された女、という中二が濡れる設定を持つ私は20代前半でフェミニズムに出会った。アメリカで女性学を学んだ会社の先輩から田嶋陽子さんの本を借りて、フェミニズムを知ったおかげで親の人生を理解することができた。

あの日あの時あの場所でフェミに会えなかったら、「親に愛されなかったのは私が悪いから」「親があんな死に方をしたのは私のせいかも」と自分を責めただろう。自己責任教と家族の絆教にまんまと取り込まれていただろう。

そうならずにすんだのは「それもこれも全部、ジェンダーの呪いのせいだ」と理解できたからだ。

フェミニズムは人生の役に立つ。それを実感しているから、ジェンダーの呪いにバルスと唱えて「オッス! おらフェミニスト」と宣言している。