「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」という「型」を押し付けられることは、どんな悲劇を生むのか。コラムニストのアルテイシアさんは「私の母は、50代のときに拒食症で亡くなった。大人になり、フェミニズムに出会ったことで、『母は、若く美しい女が男に選ばれてハッピーエンド』というジェンダーの呪いに殺されたのだと理解するようになった」という――。(第1回/全3回)
※本稿は、アルテイシア『自分も傷つきたくないけど、他人も傷つけたくないあなたへ』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
「こうあるべき」は男も女もしんどい
「生まれた時にわりあてられた性別」をSEXといって「社会的、文化的に作られた性差」をGENDERという。ジェンダーバイアス(性差に対する固定概念や偏見)をわかりやすくいうと「男らしさ/女らしさ」「男/女はこうあるべき」といった「型」みたいなものだ。
そういう型を押しつける社会では、型にはまらない人は「男/女のくせに」と叩かれる。「女のくせに料理もできないなんて」「稼げないなんて男失格だな」といったふうに。
そんな社会は生きづらいよね、だからジェンダーによる偏見や抑圧をなくそうよ、みんなが自分らしく自由に生きられる社会にしようよ、という話なのだ。
「こうあるべき」と押しつけられるのは、男女ともにしんどい。そんなしんどい呪いを次世代に引き継ぎたくない。
たとえば、ピンクが大好きな息子さんが保育園にピンクの服を着ていったら「男の子なのに変」と言われて泣いて帰ってきた、という話を聞いたことがある。
「女の子はピンク、男の子はブルー」と二つに分けるんじゃなく、黄色、緑、オレンジ、マゼンダ、ビリジアン……いろんな色が存在するカラフルな社会。みんな違って当たり前、が当たり前の社会。誰も排除されない、みんなが共生できる社会を目指すのがフェミニズムなんですよ。
という話を講演でした時に、参加者の男性から「男らしくありたい男性もいますよね? そういう男性は自分を否定されたように感じるんじゃないですか」と大変いい質問をされた。
誤解されがちだが、フェミニズムは個人の生き方や選択を否定するものではない。むしろ真逆で、個人の選択を尊重しようという考え方なのだ。