「夫へのストレス」で混同されやすいが…
では、ASDの夫が、妻との「絆」を結べないことに対する責めを負うべきなのかというと、それは少し違うのではないかと思います。
ASDの人は悪意をもって他人と共感しなかったり、配慮をしなかったり、自分のことしか考えなかったりしているのではありません。それは、ASDという障害の特性からくる症状ですから、そうなってしまうのは、ある意味しかたのないことなのです。
最近は、夫が定年退職して家にいる時間が長くなり、することがないので、何をするにも妻の後についてくる「濡れ落ち葉症候群」「主人在宅ストレス症候群」というワードを目にします。
しかし、パートナーのASDの特性のために妻が生活上の支障をきたす「カサンドラ症候群」のケースはこれとは違います。
また、ASDの特性によって引き起こされる「性格の不一致」から離婚、というケースは若年層にはたくさんありますが、これも「カサンドラ症候群」とはいいません。
「男の沽券にかかわる」のではなく「わからない」
長年連れ添った夫婦関係において、ASDの特性によって支障をきたしている状態を「カサンドラ症候群」といい、これは中高年層に多い症候群だといえます。
私が診ている高齢男性の患者さんの場合、曲がりなりにも仕事を続け、女性問題を起こすわけでもありません。
しかし、子育てや家のことはずっと妻に任せきりでした。金銭の管理はそもそもASDの人は苦手ですから「家計」の管理はすべて妻任せ、家庭内の問題や子どもの教育については、そもそも「男の沽券に関わる」「やりたくない」のではなく「わからない」ので、妻からの相談にはまともに応じることはできませんでした。
ASDのために、妻に対するねぎらいの言葉掛けなどはできず、また、子どもが小さいうちはなんとか育児にも携われたのですが、大きくなって人格が形成されていくとお手上げになるなど、“夫らしいこと”や“世間のお父さんらしいこと”がほとんどできなかったのです。