なぜ「耳なし芳一」の怨霊は「壇浦合戦」を所望したのか

このように古代・中世の男たちは泣いていた。

大塚ひかり『ジェンダーレスの日本史 古典で知る驚きの性』(中公新書ラクレ)

泣くことで自己を表現してさえいたのです。

前近代、泣くというのは、今以上の意味があったわけです。

それで思い出すのは、戦国武将の逸話を収めた『常山紀談』(江戸中期)です。

上杉輝虎(謙信)が石坂検校に『平家物語』を語らせ、その「鵺」の段で“しきりに落涙”したとあります。また佐野城主天徳寺(佐野房綱)も琵琶法師に語らせたときに、“あはれなる事”を聞きたいと言って「那須与一」の段等に“雨雫と涙をながして泣”くのです(巻之一)。

ラフカディオ・ハーンの『怪談』に収められた「耳なし芳一のはなし」でも、平家の怨霊は「それがいちばん、哀れの深いところ」(田代三千稔訳)という理由で「壇浦合戦」を所望して激しく泣いたものです。これは『平家物語』が非業の死を遂げた人たちを鎮魂するための物語であるからで、泣くことが死者への共感の意を表す最大の作法だからなのです。

戦国武将たちは「涙活」の効果を知っていた

泣くという手段で死者に同情と共感を寄せることで死者の魂は鎮まって、聞き手の心もカラダもすっきり、「明日も頑張ろう」という気持ちになるわけです。

上杉謙信や佐野房綱はそのことを重々承知していたからこそ、『平家物語』の語りに思いきり涙を流し、あえて泣ける箇所を所望した。それは鎮魂される側の平家の怨霊も同様で、怨霊たちの無念や口惜しさに、聞く側は涙で応酬、いわば泣くことで怨霊とコミュニケーションする。

泣くことは心を安定させる一種の治療法であり、心のデトックスでもあります。

泣くということは、このようにさまざまな働きや効能がある。それを手放した近代人の心には、何か大きなツケがきているようにも思ってしまいます。

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