昔は歯医者にマルサが来た
歯科医院の経営状態がよかったのは、80年代までだという。日本に歯科医師が少なかった70年ごろ、歯科医療の画期的な技術革新が起こり、いち早く新技術を身に付けた歯科医のもとに多くの患者が集まった。さらに、その治療が保険適用の診療になるまでのタイムラグで、多くの患者が良質な歯科医療を受けるために、自費での自由診療による治療を選択し、歯科医院は大きな利益を上げることができたのだ。
当時を知るベテラン歯科医(すでに引退)の一人は、「詰めるものも、かぶせるものも、すべてが変わりました。ちょうど、高度成長期で日本中が豊かになってきた時期でもあり、多くの人が、自分の歯にお金をかけたのです。毎年、億単位で売り上げがありました」と振り返る。
いまでは、定員割れも珍しくなくなった大学の歯学部もわが世の春を謳歌していた。
「東大には歯学部がありません。そのため、東大合格を蹴って入学してくる学生も毎年何人もいました。最終学年になると大学付属の病院で、実際の患者を相手に実習が行われるのですが、歯科医師のタマゴと顔なじみになれると考えた女子学生が、痛くもない歯を抱えて殺到したのです。三段重ねの手作りのお弁当をたずさえていた女性もいました。みんなうれしそうに食べていましたね」(東京医科歯科大学OBの歯科医師・50代)
山崎さんも、先輩歯科医師から、歯科医の黄金時代の話を聞いたことがある。
「バブルも重なって本当にいい時代だったようです。レジの中は1万円札であふれ、閉めることができなかったといいます。スチュワーデスと結婚するのも当然のような風潮だったようで、松田聖子も歯科医師と結婚しましたよね。あのあたりが歯科医師のギリギリよかった時代の最後のようです」
保険外の自由診療は、歯科医師側が価格を設定できたため、収入は膨大なものとなった。その一方で、脱税で摘発される歯科医師も目立つように。「パチンコ屋、歯医者、産婦人科医は脱税御三家」と言われていた時代もあった。
山崎さんの知人にも、そんな黄金時代に、国税局のマルサから査察を受けた歯科医師がいるという。
「少額の脱税では、地元の税務署が来ます。歯医者には、国税のマルサですよ。僕なんて、収入が少なすぎて、還付金をあてにしています」