消費者の声には17世紀のイギリス王政を覆す力があった
その意味で、山本さんから聞いた石鹸の話には勇気をもらいました。「17世紀のイギリスで、石鹸に対する消費者の不満が王政を覆した」という話です。
17世紀というと、そもそもまだ消費者運動なんていう概念がないような時代。当時イギリスでは、石鹸の大量生産が始まったことで、急激に品質が悪くなった。洗濯は主に洗濯婦の仕事だったから、粗悪な石鹸によって彼女たちの手が荒れてしまった。
山本さんの研究では、当時の文献から、洗濯婦たちが述べた粗悪な石鹸への不満を丹念に拾っています。すると、「やっぱり手づくりの石鹸はいい」といった噂話が広がっていた様子が分かる。大量生産か、手仕事か。石鹸の品質をめぐって大きな揺らぎがあるわけです。さらにその不満が王政を覆すという革命にまでつながるんですね。
僕はビジネスで消費財を扱っているから、洗濯婦たちの不満が広がっていく話はひとごとじゃなかった。消費者のパワーは、ネットやSNSがない時代から強かったんだ、という驚きがありました。
消費財ってめちゃくちゃリアルなんですよ。僕は明日も店頭に立って商品を売ります。お客さんの声を聞いて「自分たちがやっていることはやっぱり正しいな」と確認しながら商売しているわけです。
17世紀のイギリスでユーザーの不満が社会を動かしたと聞いて、「現代の僕たちと同じだな」と歴史から学ぶことができる。歴史研究の大きな価値だと思います。僕が文化人類学を勉強してきたのも、フィールドワークを通して人々のリアルな生活の中にストラクチャーがあることを学べるからなんですね。
「手仕事と大量生産との間での揺らぎ」の話ではない
【山本】今の話には重要なことがいくつも含まれています。まず、ただの教養コンテンツとして歴史を消費するだけなら、山崎さんの説明でいいと思います。「昔から手仕事と大量生産の間には揺らぎがあった」という“揺らぎの歴史学”を紹介する教養コンテンツとして。みんながこの記事をクリックして読めば、「ちょっと歴史を学んだ気持ち」になると思う。でもそれで終わり。
ここに歴史の専門家がいる意味は「さっき説明にはちょっと事実誤認がありますよ」って話ができることだと思う。
ちょうど論文を書き進めているところなので、少し詳しく話しましょう。
17世初めのイギリスは、絶対王政で王様の権力がものすごく強かったんです。政治だけでなく、経済でもいろんな政策を上から押しつける。その1つが国際貿易をめぐる重商主義政策でした。
当時はグローバル化が進みつつあって、イギリスに外国の製品や原材料がどんどん入ってきた。対抗して「輸入を減らせ、国産化しろ」という声が国内で高まります。輸入を制限して国内産業を保護し、輸出を促進して貿易収支の黒字化を図るというのがいわゆる重商主義です。トランプ前大統領みたいな感じもしますね。