衆院選で落選した時の思い
2005年、郵政解散の衆院選で落選し、悔しさの中でこんな文章を書きました。
私は、私をあきらめない
私たちの社会は、私たちがつくっていける社会であり、
私たちの社会は、私たちが支えていける社会であり、
それを変えていくのが、まさに選挙にほかならない。
「有権者たる国民を信じる」
そう言い切って、前回の総選挙に、はじめて立候補した。
そして、8万61名の思いを受け、
国会というところで仕事をする機会をいただいた。
今回、8万3380名の思いを受けつつも、
国会での仕事は中断せざるをえなくなった。
審判の結果については、戸惑いと落胆を禁じえないが、
これもまた、私たち自身の選択なのだと、受けとめている。
私たちの社会は、まだまだ未熟だと思う。
その未熟な社会をいまだに変えていけずに立ち止まっている私たちもまた、
まだまだ未熟だと思う。
候補者であった私自身が未熟であったのはいうまでもない。
まだまだ、これからなのだ。
私たちの社会も、その社会をつくっている私たちも、
そして、その私たちのなかに含まれるこの私も。
私は、私をあきらめない。
当時も、今も、変わらず同じ思いです。
生きている限り可能性は開かれていく。思いを胸の内に抱えているだけでは、政治は変わりません。声を上げ、行動に移さなければ、何も変わらない。
しょせん人間の能力や障害なんて、誤差の範囲でしかありません。私自身、常に少数者の側にいると感じ続け、何かあると真っ先に排除される対象は私だ、常にそういう意識を持って生きてきました。
自分の限界を感じるからこそ、子どものころから努力を重ね、今も全力で走り続けています。努力は報われないかもしれない。それでも、こんな冷たい社会を何とか変えようと、手を緩めることなく力を尽くしてきた立場です。
社会を変える現実的な方法は「政治」
私たちの生活は政治と深く関わっています。直につながっているのです。
政治をあきらめることは、あなたの未来をあきらめるようなもの。その陰で得をするのは誰かをよく考えたほうがいいでしょう。社会を変えるもっとも現実的な方法は「政治」だと、私は信じています。
私は、私をあきらめない。政治をあきらめない。
あなたも、あなたをあきらめないでください。
あなたにも「社会を変える」ことは「可能」です。
ともにがんばりましょう。