「必要な人は自分で持ち歩くべき」主張の問題点2つ

プラスチック製ストローの廃止が障害者の権利と相反するという問題は、すでに数年前から提起されていた。

障害の可視化プロジェクト(Disability Visibility Project)を率いる活動家でプロデューサーのアリス・ウォン(Alice Wong)は「最後のストロー」というエッセーをあるメディアに寄稿した。

当時、北米の各都市は、プラスチック製ストローの廃止計画を次々と発表していた。ストローは、使うのをやめようと思えばやめられる物なので、環境運動家には「便利さを捨てて環境を考えよう」という運動の出発点のように考えられているが、高齢者や障害者にとっては飲み物を飲むときに欠かせない生活必需品なのだと、アリス・ウォンは述べている。ウォンによると、使い捨てストローの提供を禁じた北米の都市でも、障害者はその例外とされているという。だが、その例外事項が各店舗にまで充分に浸透していないというのが現実だ。

ウォンのような障害者たちがプラスチック製ストロー廃止運動の問題をオンラインで指摘すると、「ストローが必要な障害者は分解されるストローを自分で持ち歩くべきだ」などの反論があったという。韓国での議論と同じような展開だ。

ウォンはここで2つの問題を提起している。まず、ストローが欠かせない障害者や高齢者に1つ余分な手順を踏ませるのは差別になるという点だ。健康な人が店員を呼んだりカウンターに行ってストローをもらったりするのは難しいことではないが、そうでない人にとっては手順が一つ増えるだけでアクセシビリティーを失うことにもなる。

主流化されることで本来の目的を見失ってしまう

もう一つの問題は「プラスチック」という素材自体が高齢者や障害者にとっては重要だという点だ。

プラスチックに代わる環境にやさしいストローとして提供される紙ストローや米ストロー、とうもろこしの澱粉でできたとうもろこしストローなどは、プラスチックのように曲がらないので不便だし、熱い飲み物には適していない。先がカーブしたステンレス製のストローもあるが、これもやはり身体機能の低下した人にとっては危険が伴う。

先に述べた「ユニバーサルデザイン」の落とし穴がここにも出現している。障害者の補助技術や道具の一部は、「主流化」され広く一般に使われるようになると同時に、考案された当初の理由が忘れられてしまうのだ。

適切な答えを見つけるのは容易ではない。ストローの使用を最小限にすべきだと主張する人は、ストローの削減が、その他の使い捨てプラスチック製品の使用を減らしていくことへの心理的な抵抗を和らげる、いわば「取っ掛かり」的な役割をすると言う。